先週末、NHKの連続テレビ小説「花子とアン」で、関東大震災で被災した子どもたちを元気付ける為に、花子が創作物語を語る場面があった。
花子いわく
「涙さんという娘がありました。」
この「ありました」を聞いて、すぐに思い出した歌謡曲がある。松尾和子・和田弘とマヒナスターズの歌で、1960年代に流行した「誰よりも君を愛す」だ。
この有名なムード歌謡の一節に
「あなたがなければ 生きてはゆけない あなたがあるから 明日も生きられる」
がある。
私は、人に対しては「ある」ではなく「いる」ではないのかと、疑問が生じたので、辞書を引いてみた。
新明解七版
--ここから
あ・る[1](自五)[一]【有る】←→無い (【有る】の項、以下省略)
[二]【在る】
(一)居る。「昔むかしおじいさんとおばあさんがありました/賛成する人が-/政権の座に-/何分 相手の-ことだから」
(二)世に生きている。「在りし日の面影/世に-〔=(a)生活している。(b)成功し、りっぱに暮らしている〕人」
(三)そういう△位置(状況・環境条件)において存立することが認められる。「東京の西南に-〔=位置する〕/増加の傾向に-/△目と鼻の先(念頭)に-」
(四)帰属する。「責任は彼に-」
(五)帰着する。「問題は向こうの出方に-〔=左右される〕」【・・・に在っては】・・・の関する方面においては。「自然科学部門-〔=・・・では〕」
[三](省略)
[四](省略)
[文法](1)(省略)
(2)[二]で、「ある」は一般に非生物の存在を表わし、生物の存在には「いる」が用いられる。しかし、生物、とくに人の存在を表わす場合に「ある」が用いられることもある。「そんな悪いことばかりしていていいのか。お前にも親はあるだろう」「私には兄弟が三人ある」「よい友人がある」などと、ある人から見て親・兄弟・友人などととらえられる場合である。これらの「ある」の用法は存在する場所、つまり居場所を捨象される傾向がある。居場所も表わして述べる場合には「私には兄と姉がある。今兄はアメリカにいて、姉は中国にいる」と「いる」を用いるのが一般である。昔話の語り口として「昔むかし、おじいさんとおばあさんがありました」の「ある」は「昔男ありけり」などといった文語文の流れを汲(ク)むものととらえられる。
(3)(省略)
--ここまで
新明解七版には、上記のように[一]から[四]の語釈に続いて[文法]欄が設けられている。
これらを読んで、花子が「涙さんという娘がありました」と語ったのは、「昔涙さんありけり」ということだったのだとわかった。
それにしても、新明解には、「詳しくて納得できる説明」と「絶妙な用例」がある。
I love SHINMEIKAI. である。(Vサイン 頬が赤らむ)
では、「誰よりも君を愛す」の歌詞はどうか。
「あなたがなければ 生きてはゆけない あなたがあるから 明日も生きられる」
「あなたがいなければ」と歌うのでは、旋律に合わない。字あまりである。
旋律に合う「なければ」と合わせて「あなたがあるから」としたのだろうか。
いや、そうではないだろう。
「あなたがいるから」ではなく「あなたがあるから」としたのは、上記の新明解「在る」の語釈 (二)世に生きている。の意味からだったのではないだろうか。
つまり、「あなたがあるから 明日も生きられる」は「あなたが生きていてくれるから(私は)明日も生きられる」だったのだと考える。
このあと、私は古語辞典で「昔男ありけり」の「ある(あり)」を調べようと思う。
花子いわく
「涙さんという娘がありました。」
この「ありました」を聞いて、すぐに思い出した歌謡曲がある。松尾和子・和田弘とマヒナスターズの歌で、1960年代に流行した「誰よりも君を愛す」だ。
この有名なムード歌謡の一節に
「あなたがなければ 生きてはゆけない あなたがあるから 明日も生きられる」
がある。
私は、人に対しては「ある」ではなく「いる」ではないのかと、疑問が生じたので、辞書を引いてみた。
新明解七版
--ここから
あ・る[1](自五)[一]【有る】←→無い (【有る】の項、以下省略)
[二]【在る】
(一)居る。「昔むかしおじいさんとおばあさんがありました/賛成する人が-/政権の座に-/何分 相手の-ことだから」
(二)世に生きている。「在りし日の面影/世に-〔=(a)生活している。(b)成功し、りっぱに暮らしている〕人」
(三)そういう△位置(状況・環境条件)において存立することが認められる。「東京の西南に-〔=位置する〕/増加の傾向に-/△目と鼻の先(念頭)に-」
(四)帰属する。「責任は彼に-」
(五)帰着する。「問題は向こうの出方に-〔=左右される〕」【・・・に在っては】・・・の関する方面においては。「自然科学部門-〔=・・・では〕」
[三](省略)
[四](省略)
[文法](1)(省略)
(2)[二]で、「ある」は一般に非生物の存在を表わし、生物の存在には「いる」が用いられる。しかし、生物、とくに人の存在を表わす場合に「ある」が用いられることもある。「そんな悪いことばかりしていていいのか。お前にも親はあるだろう」「私には兄弟が三人ある」「よい友人がある」などと、ある人から見て親・兄弟・友人などととらえられる場合である。これらの「ある」の用法は存在する場所、つまり居場所を捨象される傾向がある。居場所も表わして述べる場合には「私には兄と姉がある。今兄はアメリカにいて、姉は中国にいる」と「いる」を用いるのが一般である。昔話の語り口として「昔むかし、おじいさんとおばあさんがありました」の「ある」は「昔男ありけり」などといった文語文の流れを汲(ク)むものととらえられる。
(3)(省略)
--ここまで
新明解七版には、上記のように[一]から[四]の語釈に続いて[文法]欄が設けられている。
これらを読んで、花子が「涙さんという娘がありました」と語ったのは、「昔涙さんありけり」ということだったのだとわかった。
それにしても、新明解には、「詳しくて納得できる説明」と「絶妙な用例」がある。
I love SHINMEIKAI. である。(Vサイン 頬が赤らむ)
では、「誰よりも君を愛す」の歌詞はどうか。
「あなたがなければ 生きてはゆけない あなたがあるから 明日も生きられる」
「あなたがいなければ」と歌うのでは、旋律に合わない。字あまりである。
旋律に合う「なければ」と合わせて「あなたがあるから」としたのだろうか。
いや、そうではないだろう。
「あなたがいるから」ではなく「あなたがあるから」としたのは、上記の新明解「在る」の語釈 (二)世に生きている。の意味からだったのではないだろうか。
つまり、「あなたがあるから 明日も生きられる」は「あなたが生きていてくれるから(私は)明日も生きられる」だったのだと考える。
このあと、私は古語辞典で「昔男ありけり」の「ある(あり)」を調べようと思う。