7月26日のブログ「『古文研究法』と『国文法の基礎』」に、めたさんからコメントをいただきました。めたさんはブログ「“無理題”に遊ぶ」の著者で、私が日本語や辞書、歴史的仮名遣い、古文などについてご指導を仰いでいる方です。
 めたさんからのコメントの中に

> 私が、大学の時の指導教官に改めて教えを請うたのは、64歳の時でした。

というお話があり、「勉強の姿勢」について大いに啓発・激励していただいたのです。
 このとき、30年近く前の私自身に関係する出来事を思い出したので、書きとどめておきたいと思いました。以下、思い出すままに書きます。

 私が教職に就いたのは1979(昭和54)年4月で、当時、私の所属校のとなりの中学校区にある小学校の校長に、O先生という方がいらっしゃいました。
 私はO校長とはまったく面識がありませんでしたが、教職2年目の頃、O校長の学校で県指定の公開研究会があり、私も参加したのです。理科だったと思います。
 研究会に参加して、もっとも衝撃を受けたのは、全体会におけるパネルディスカッションでした。O校長がパネルディスカッションのコーディネーターをしたのです。教育研究や教育指導について、まだ駆け出しの“あんちゃん先生”だった私は、目から鱗が何枚も零れ落ちたのでした。
 帰校して出張報告をしたときに、パネルディスカッションを興奮しながら話した私に、所属校の校長が「Oさんは、苦学して教員になった人で、教育研究に関しては県内屈指の実力者だ。きみの大学の先輩で、今も千葉大学教育学部附属小の研究協力をしている人だよ。」と教えてくれました。そういえば、私が教育実習をしたときにお世話になった附属小の教官が数名、パネラーとして参加していました。当時も現在も、附属小の教官が地方の小学校の研究会に参加協力するのは珍しいことだと思います。
 この研究会の翌年、O校長の学校では校内研究のテーマとして国語の説明的文章を取り上げ、年度末に研究紀要を作成し、市内の学校に配布してくれました。所属校の校長が「とても参考になるから、きみも読んでみなさい。」と研究紀要を手渡してくれました。
 30ページ程度の薄い紀要でしたが、その中身の濃さに、またまた目から鱗が落ちました。

 こんなことがあったので、私は、いつかO校長の指導を受けたいと願うようになり、その翌年、教育研究集会の所属部会を希望するときに、O校長が座長を勤める学級経営部会に所属することに決めました。教研集会の部会研究を通して、ようやく面識を得た私は、年に数回の教研集会を待ち焦がれるようになったのです。
 それから数年後、私は転勤。O校長も転勤なさって、となりの小学校の校長になっていました。当時の私は自分の研究(授業の個別化に迫る)に行き詰まり、どうしても解決したくて、所属校の校長・教頭に
「自分がお世話になっている校長先生・教頭先生を差し置いて、こんなお願いをするのは本当に申し訳ないのですが、今、自分が取り組んでいる研究に行き詰っているので、となりの学校のO校長に指導を請いたいのです。よろしいでしょうか。」
と願い出たのです。
 所属校の校長は、笑いながら、「研究熱心、大いに結構。私がOさんに電話を入れてあげるから、きみも、何を指導してもらいたいのか、Oさんあてに手紙を書きなさい。」と言ってくださいました。
 1週間ほど経って、O校長から私に直接電話があり、依頼の件はよくわかったから、明日にでも放課後、訪ねてきなさいと快諾をいただきました。
 翌日、O校長の学校を訪ね、指導を受けました。
・「個別化」と「個性化」はちがう。
・一斉指導の場面、グループ学習の場面、個別学習の場面を、1単位時間の中だけで捉えるのではなく、少なくとも、1単元の指導計画の中の位置づけ方という視点で捉えると良い。
・校内に頼れる先輩教師がいれば、アドバイスをもらいなさい。
 こんな指導をいただいたことを覚えています。私がO校長の指導を受けに訪問したのは4~5回になったと思います。
 この年、O校長は千葉県教育研究会東総支会長をなさっていて、機関紙「東総の教育」第1号が発行されました。その巻頭言に、名前は伏せながらも、私のこととわかる出来事「面識のなかった若い教師が教育研究の課題を解決するために、他校の教師を訪ねて指導を請うた」ことを、O校長自身の体験と重ねて書いてくださいました。
 その年、私は大学院受験を決意し、翌年に兵庫教育大学大学院を受験し、おかげさまで2年間の研究生活を送ることができました。
 1年次の夏休みに帰省した際、O校長を訪ねて、修士論文執筆の方向性について指導を受けました。大学院の教授とは異なるヒントをたくさんいただくことができました。
 大学院を修了して、修士論文を謹呈するためO校長を訪ねたとき、とても喜んでくださいました。そして、大学院修了記念に、O校長は、私に
デューイの『学校と社会』の原書 The School and Society
の古書をくださいました。O校長が苦学しながら教育学部に通っていた学生時代に、古書店で買い求めた本とのことで、年季の入った皮革装幀の本でした。今も書棚の奥に大切に置いてあります。
 一度も同じ学校に勤めたことはありませんでしたが、O校長から、このようなありがたいご指導をいただきました。O校長は現在は退職なさって、数年前に叙勲を受けました。

 めたさんのコメントがきっかけとなって思い出したことを、書き留めた次第です。