数日前、夜の民放テレビで、日本人の英語が上達しない理由を解き明かす番組を観た。最後の10数分だけ見たのだが、日本人が小・中・高・大と英語を習ってきても上達しない理由を、幕末から明治にかけて当時の学生が頑張って勉強したおかげで、日本語という1つの言語で英語を翻訳できてしまうようになったことを挙げていた。
要は、他言語の助けを借りなくても、日本語単独で欧米語を理解することができてしまうことが原因で、英語などの外国語習得が困難になっているというらしい。
私のように、途中から観た者には、受け取りかたによっては「日本語のせいで外国語習得ができにくい」と解釈されてしまう危険性があるが、番組の趣旨は、それだけ「日本語の懐(ふところ)が深い」ということを言いたかったのだと思う(と、信じたい)。
この番組を観ながら思い出していたのが「英語脳」という言葉だった。英語が上達したければ、いちいち日本語に翻訳して考えていてはだめというような学習法らしい。詳しく知っているわけではないので、間違った捉え方かもしれないが、私が言いたいことは次のようなことである。
脳をコンピュータにたとえれば、母国語(日本人にとっての日本語)が、脳のOS(オペレーティングシステム/基本ソフト)にたとえられ、母国語というOSの上で動いているのが、さまざまな学びのアプリケーション(読む・書く・話す・聞く・思う・感じる・・・・・・)ではないかと。
だから、母国語である日本語をないがしろにして、OSそのものを外国語に置き換えてしまっては、脳は動かないのではないか。たとえれば、Windowsのアーキテクチャによって作られているコンピュータにMacOSをインストールするようなものだろう。
本物の機械であるコンピュータならば、パーティションを切るという行為によって複数のOSをインストールすることも可能ではあろうが、生きた人間の脳のパーティションを切るのはナンセンスであろう。
母国語である日本語をないがしろにせず、日本語を十分に学んだことを土台にして、その上に様々な学問を積み上げ、様々な外国語を学んでほしいということが、私の言いたいことなのだが、いかがであろうか。
要は、他言語の助けを借りなくても、日本語単独で欧米語を理解することができてしまうことが原因で、英語などの外国語習得が困難になっているというらしい。
私のように、途中から観た者には、受け取りかたによっては「日本語のせいで外国語習得ができにくい」と解釈されてしまう危険性があるが、番組の趣旨は、それだけ「日本語の懐(ふところ)が深い」ということを言いたかったのだと思う(と、信じたい)。
この番組を観ながら思い出していたのが「英語脳」という言葉だった。英語が上達したければ、いちいち日本語に翻訳して考えていてはだめというような学習法らしい。詳しく知っているわけではないので、間違った捉え方かもしれないが、私が言いたいことは次のようなことである。
脳をコンピュータにたとえれば、母国語(日本人にとっての日本語)が、脳のOS(オペレーティングシステム/基本ソフト)にたとえられ、母国語というOSの上で動いているのが、さまざまな学びのアプリケーション(読む・書く・話す・聞く・思う・感じる・・・・・・)ではないかと。
だから、母国語である日本語をないがしろにして、OSそのものを外国語に置き換えてしまっては、脳は動かないのではないか。たとえれば、Windowsのアーキテクチャによって作られているコンピュータにMacOSをインストールするようなものだろう。
本物の機械であるコンピュータならば、パーティションを切るという行為によって複数のOSをインストールすることも可能ではあろうが、生きた人間の脳のパーティションを切るのはナンセンスであろう。
母国語である日本語をないがしろにせず、日本語を十分に学んだことを土台にして、その上に様々な学問を積み上げ、様々な外国語を学んでほしいということが、私の言いたいことなのだが、いかがであろうか。