そういえば、思い出したことがある。
昭和36(1961)年に亡くなった私の祖父は、生きていれば100歳を超えるはずだ。
祖父が亡くなった年、私は幼稚園の年少組に入園した。幼かったが祖父のことは覚えている。
もし、明治生まれの祖父が、現在の日本語とは異なる特殊な日本語を話していたとすれば覚えているはずだが、そんなことはなかった。祖父と幼い私は「今の日本語」で会話していた。
大正3(1914)年生まれの祖母も平成9(1997)年まで生きたが、やはり「現代の日本語」を話していた。
私の父は昭和6(1931)年生まれで先年なくなった。私の母は昭和10(1935)年生まれで存命中だ。両親ともに話し言葉も書き言葉も私と変わらない。聞くところによれば、母は新制中学の一期生だという。そのせいか、母の書く日本語は現代仮名遣いだ。
私は、昭和54(1979)年4月に小学校教師となった。当時の保護者のなかには、50歳前後の人もいた。当時、私の母親は40代前半だったから、50歳前後の保護者は私の母親よりも年上だったわけだ。そのような比較的高齢の保護者の中には、連絡帳に書いてくる児童の欠席連絡などが「旧仮名遣い」になっていた人もいた。
これらの思い出をつなぎあわせると、明治期と現代の日本語の違いは「書き言葉」にあったことが推測される。
そういえば、文部省によって、旧仮名遣いが現代仮名遣いに改められたのは、私が生まれるほんの10年ほど前のことだった。
これらの推論によって、江戸期・明治期の日本人の使っていた日本語と現代の私たちの使う日本語の決定的違いは「書き言葉」にあると考えてよさそうだが、いかがなものだろうか。
昭和36(1961)年に亡くなった私の祖父は、生きていれば100歳を超えるはずだ。
祖父が亡くなった年、私は幼稚園の年少組に入園した。幼かったが祖父のことは覚えている。
もし、明治生まれの祖父が、現在の日本語とは異なる特殊な日本語を話していたとすれば覚えているはずだが、そんなことはなかった。祖父と幼い私は「今の日本語」で会話していた。
大正3(1914)年生まれの祖母も平成9(1997)年まで生きたが、やはり「現代の日本語」を話していた。
私の父は昭和6(1931)年生まれで先年なくなった。私の母は昭和10(1935)年生まれで存命中だ。両親ともに話し言葉も書き言葉も私と変わらない。聞くところによれば、母は新制中学の一期生だという。そのせいか、母の書く日本語は現代仮名遣いだ。
私は、昭和54(1979)年4月に小学校教師となった。当時の保護者のなかには、50歳前後の人もいた。当時、私の母親は40代前半だったから、50歳前後の保護者は私の母親よりも年上だったわけだ。そのような比較的高齢の保護者の中には、連絡帳に書いてくる児童の欠席連絡などが「旧仮名遣い」になっていた人もいた。
これらの思い出をつなぎあわせると、明治期と現代の日本語の違いは「書き言葉」にあったことが推測される。
そういえば、文部省によって、旧仮名遣いが現代仮名遣いに改められたのは、私が生まれるほんの10年ほど前のことだった。
これらの推論によって、江戸期・明治期の日本人の使っていた日本語と現代の私たちの使う日本語の決定的違いは「書き言葉」にあると考えてよさそうだが、いかがなものだろうか。