5月1日 と 貴公子・・・この2つのキーワードだけでピンと来た方は、おそらくモータースポーツファンでしょう。
今日は、イタリア半島の中東部にある世界最古の共和国・サンマリノに散った〝音速の貴公子〟
アイルトン・セナ・ダ・シルバ
Ayrton Senna da Silva
の命日・・・日本流に言うなら三十三回忌にあたります。
F1史上最高のドライバーといわれた彼は、1960年にブラジル有数の実業家・ミルトンの長男としてサンパウロで生誕。
4歳の時に買ってもらったレーシングカートに夢中になり、13歳で既にレースに出場していたという、まさに生まれながらのレーサー。
父親との約束で一旦レースから遠ざかったものの、その想いは断ち難く・・・20歳で結婚した妻と離婚してまでも再び渡英して
、レース界にカムバック。
そこから彼のキャリアは一気に輝きを増していきます。
1984年にF1デビューを果たすと、その3年後には念願のホンダ・エンジンの供給を受けることに。
本田宗一郎氏から「お前のために最高のエンジンを作ってやるよ」と言われたセナは、「本田さんは日本の父です」と大感激で涙ぐんだとか。
ホンダ・エンジンと共に戦った6シーズン中、実に3度 (’88
・’90・’91)もF1ワールド・チャンピオンに輝き、天才ドライバーの名を欲しいままにしたセナ・・・母国ブラジルではサッカーのペレと並ぶ国民的英雄と称えられました。
しかし、スポーツ・カー 〝FSX〟 の開発にも協力する程の蜜月関係にあったホンダがF1から撤退した翌年、誰もが予想だにしなかった〝イモラ・サーキットの悲劇〟が待っていたのです。
1994年に開催されたF1シーズン第3戦・サンマリノGP。
予選から大きな事故が続き、2日目にはF1で12年ぶりの死者を出すなど重苦しい雰囲気で5月1日の決勝を迎えた同レース。
ポール・ポジションからスタートしたセナの操るブルーのマシンは、7周目の高速左カーブ〝タンブレロ・コーナー〟に時速310kmで進入すると何故かそのまま直進してコース・アウトし、急減速するも時速約210Kmでコンクリート壁に激突。
※その〝悪夢の一瞬〟からセナの救出活動までの映像が、こちらでご覧いただけます。 ややショッキングな映像ですので、予めご了承ください。(21:00~ ↓)
多角的な分析から事故原因がセナの運転ミスではないことが定説となっている一方、事故後10年以上経過した2005年にイタリアの裁判所がウィリアムズ・チーム関係者の過失責任を問わない判決を下し、明確な原因解明はされぬまま。
母国・ブラジルでは国葬が執り行われたというスーパー・スターのご冥福を、あらためてお祈り致します。🙏
今はただ、本田宗一郎氏とセナが、天国でレース談義に花を咲かせていると信じましょう。


















