自作、抜粋文です。COPY禁びっくり




 キャンターから5ハロン(約1000m)の棒から単走での追い切りとなった。ケリチラセは放牧でスッキリしたようで軽快に猪俣の指示を待ちながら、コースの真ん中五分どころを駆けてゆく。『トモのけっぱりがブリリアントカップの時より力強い』涙も乾いた猪俣はそう思って走っていた。こういう気分を味わえるのは騎手ならではだ。やがて3コーナーから4コーナーへやはり軽快にカーブを走り切り、直線に入って50mぐらいいったところで猪俣はハミをかけ一杯に追った。3ハロン36.3秒で駆け抜けた。5ハロンからでは66.2秒だった。馬を引きに預け、馬から降りた猪俣と調教師は小声でうなずきあった。報道関係者が近寄ってきたので「東京記念に登録はあるよ。ただ、放牧明けだからねぇ。」とだけ礼儀的にコメントをし調教師は奥に入った。報道関係者がさらに猪俣に聞こうとすると「次の自厩舎の馬の調教があるから。これで。」と言い残して別の馬のところへ早歩きで向かった。報道関係者は、そこであきらめたようだった。猪俣は『根掘りの詰問にあわなくてよかった』と紺のウインドブレーカーのポケットに手を突っ込みながら心の中で安堵し、タバコを一本吸った。雨は小雨になっていた。




 

 自厩舎の馬の厩務員の手伝いを少ししていると12時を過ぎたので、猪俣は「では」と自厩舎の調教師に軽く挨拶をして駐車場へ向かった。季節は10月初だったが幸いにも9月中旬並みの気温の晴れだった。今週は川崎開催で騎乗予定が無くちょうど池下元騎手に連絡を取ると「おおー!、ぜんぜんOK。オレも久しぶりにゴルフで体を動かしたかったんだ。」と元先輩らしく、やさしく案に乗ってくれた。

 ゴルフなんて久しぶりだったので軽快にややスピードを上げながら埼玉県山奥のゴルフ場に向かった。道中はトラックがまばらに通る程度で空いており、1時半ぐらいにゴルフ場に着いた。

 ロビーで池下はすっかりスタンバっていた。口元に微笑を浮かべた池下は少しふけたように猪俣には映った。池下も58歳になっていた。

 「ご無沙汰です。」軽く言うと「ロッカーは左のほうだから。早くクラブが振りたくてな、さっきパター練習だけしといた。」言い終わると池下はCAPを被った。

 「表で待ってる。」池下はストレッチを何回かすると立ち上がり、先にカート置き場へ歩いていった。「相変わらず、先行するなあ」と猪俣は現役時代と変わらない池下の性格に苦笑した。不思議そうにクロークのパート主婦が見ていた。ガラガラのゴルフ場・。





 猪俣はロッカーですばやく着替えた。カートまでバッグを担いで行くと池下が運転席に座っていた。「キャディー無しですか・。」「そう。じゃ、行くか。」そういってカートを発進させた。ごとごと進み、1番ホールに着いた。途中、猪俣は「ドナドナドーナドーナー子牛をのーせーてー♪」と歌っていた。

 1番ホール、419ヤードPAR4。コインを投げ上げた結果、猪俣が先に打つことになった。『うーん、たまには先行もいいかぁ』そう思いつつティーを立て、ボールを置くと急にアゲンストの風が強めに吹きだした。晴れは晴れだったが少し動作を止めた。思い直して、スプーンで低めのドローボールを打とうとしてクラブを取り直し、スイング。

 意外とクリーンヒットしたがフェードというよりスライスで200ヤード程度飛んで転がりが弱く、右のラフに入っていくのが見えた。

 次は池下。最近よく練習をしていたらしく、ドライバーで思い切り振り抜いた。蛍光色ボールが青空に高く上がり、見失うぐらい上がったが距離も出ていそうだった。ボールもまっすぐストレート。

 やがて目に見えるぐらいにボールが落ちてきて、フェアウェイやや左に7バウンドぐらいして止まった。270ヤード弱ぐらい。「Nice!くそー、オレも思い切ってドライバーにしとけばよかったかなぁ」猪俣がぼやくと「思ったよりも曲がらなかったなぁ」と首を左に傾げて池下はカートのところに来た。今度は猪俣がカートを運転し、セカントショットを打つ付近のレールでカートを止めた。前には客は誰もいなかった。




 猪俣はボールの地点まで行き、芝へのもぐり具合を確認してクリークをバッグから出した。池下はカートに座ったまま、チラっと猪俣を見た後で自分の蛍光色ボールの位置をじっと見ていた。が、スタンスを固めてセカントショット。ボールはライナーみたいに低く飛び、玉足の速いゴロになった。アゲンストの風にジャマされないのにはこれがいいショット。ボールはグリーン手前バンカーの横をうまく転がり、グリーン手前で止まった。Pinは左奥に切ってあったので、まだ25ヤードぐらいは残っている。

「やるねぇ。」カートに戻ってきた猪俣を見てニっと池下が笑った。現役時代より目のふちのしわが増えていたが、先輩とこうしてゴルフを出来るのが最近悩んでいた猪俣には心地がよく、変えがたいリラクゼーションとなっていた。