最近は
仕事が毎日激務で
一日中セカセカしていました。
負担が多くて
毎日がへとへと
休憩もお弁当飲み込むだけで
競争馬のように働いていました。
連勤も4日めになると
イライラが募り出し、
心の余裕も無くしていく日々。
そうなると
些細なことでも
イライラ度が増してきます。
クッソ忙しい時間に
コール鳴らされ
「わたしボケたみたいです」
との報告。
知ってます
とは言えないので
訪室し、何かありましたかー?と傾聴します。
「ゴミ箱の位置が違います」(数センチの微調整)
甘えてんじゃねぇ!
もしくはイヤミな姑か!![]()
とは言えないので微調整して去ります。
こういう施設に入っちゃうと
なんでも全部頼めばやってくれると
思われやすいのですが、
実際は自立支援と言って
危険が伴わない範囲で
ご自分でできることは
できる限りご自分でできるように
見守りながら支援していく方法で
利用者様に対応します。
なので、上手に
ご自分でできますよー
やってみましょうよ
とかって促すんですけど、
んな余裕すら無くしてしまいそうになります。
でも、施設の高齢者って…
寂しい方が多いんですよね。
年老いて
社会での役割を無くした気分にならざるを得ず
物忘れが進んでいくことの不安にかられ
かまってくれる家族に会えず
いつもいつも心細くて
当たり前にできていたはずのことが
できなくなる虚無感
人の手を煩わせなければいけないことへの
罪悪感など
強烈な寂しさや不安を
抱えておられる人も多いのではないかなぁと思います。
それなのに
わたしはイライラしてしまい
そんな自分にまた
罪悪感…
こんな状況を
ちょっと振り返りました。
わたしは…
自分はできる奴なんだと思いたくて
そこに自分の存在意義を振りかざし
競争馬のように働くことで
役に立つ人間なんだと思いたいのかもしれない。
納得![]()
できない自分に罪悪感を持っていて
それを隠すために
利用者様を使って
わざわざできる奴をアピールしようとする
イヤな奴なのかもしれない。
納得。
最っ低やな。![]()
そして
本当はわたしも
寂しくて 不安で 心細いのかもしれない。
寂しいよー
こわいよー
助けてよーって
言いたいのかもしれない。
それはない、とは言い切れない…![]()
最近はずっと
毎日忙しく働いていて
寂しいとか心細いとか
些細な心の声を感じる隙間なく
ただ淡々と生きてたけど
1人でいることが
楽で心地良いと思っていたけど
心の奥底で
寂しいと感じている自分も
いたのかなぁって思います。
馬やめたら寂しがりやの犬なんかもな。
先日、
同期のはみせんせに
歩け
歩け
自分の足で
歩こうぜ
足元の花をみて
空を見上げて
冷たい空気を肺に入れて
頭以外の
自分を感じてこよー
そう言われたので
休日に
のんびり河原を散歩していたら
なんだか無性に
寂しさを感じたのです。
予想外の感情がでてきたので
んん?![]()
なんで寂しいが出てくる?と
疑問に思いました。
だってわたしは
ひとり映画も
ひとりカフェも
ひとり旅も
全然平気なのに。
感情が鈍っているのかなぁ。
土の中で眠っていた
幼虫なのか 種なのか しらんけど
久々に自然にふれて
太陽の光を浴びて
表面がウゴつきだしたのかもしれない。
太陽の光を浴びて
自然を感じることは
自分という自然界のイキモノの
素直な感情が出てきやすいのかなぁ。
寂しい
不安だ
怖い
心細い
わたしはこれらを
感じる覚悟が必要なのかもしれないなぁ。
怖くてずっと見ないふりして
重い蓋して
競争馬のように働くことで
わたしは
できない自分と
寂しさを
認めないようにしていたのかもしれないなぁ。
できない自分をもっと許可してみよう。
じっくりと寂しさも怖さも感じてみよう。
うぅ…![]()
結構、怖いかも…
という
激務とイライラに隠された
わたしの劣等感と寂しさのお話でした。
長文読んでくださってありがとうございます😊
おわり






