驚きと共に、老人の多い国であるからという視点には納得できる。
ミラノのあるロンバルディア州から始まったこの感染拡大だが、
イタリアの中で最も医療が整った北部で起きたことが幸いだったと思っていたが、
拡大しすぎて病院のベッド数や、医療器具、医師、看護婦など
全てがキャパオーバーとなり、
医療関係者の必死の活動にもかかわらず
残念ながら死者数を抑えることができていない。
これが南部に広がったならば、本当に恐ろしいことになるだろうと
最初の頃から思っていたが、この外出制限で、少しでも拡大が収まることを祈るばかりだ。
日本では感染率が低いようで、ホッとしている。
最初は検査数が少ないから当たり前のことだと思っていたが、
それ以外にも色々な理由があるようだ。
日本で広がらないことを祈っている。
感染者は、隔離されて誰にも会えず、悪化すればそのまま最期の時を迎える。
想像してほしい。
これほど、大げさすぎるほど愛情表現の豊かなイタリア人たちが、
ひとりぼっちにされたら、どんな気がするだろうか?
しかも、多くがご老人たちだ。
特効薬がないことも念頭にありながら、この病気にかかることは
余命宣告されたように感じる人もいるだろう。
他の年代の人々は、感染しても発症しないで普通の生活を送れる。
友人のイタリア人は、外出制限が出てから、家族にも会わず、一人暮らしを続けている。
年老いた母親に会って、何事か生じては嫌だから、最初に政府が出した二週間の外出禁止令をしっかりと守っている。
病は気からというけれど、
隔離されることで、親しい人々の愛情から遠ざかり
少しずつ気持ちが弱り、体も弱って行くのではないだろうか?
うさぎはさみしいとと死ぬという
ことを聞いたことがある。
人間は一人で生まれて来て、また死ぬ時も一人だ。
しかし、死が間近に迫っている時に孤独のままでいるのと、
愛する人々に見守られているのでは、明らかな違いがあると思う。
起死回生する人もいるだろう。
今回のパンデミックは、経済を徹底的に破壊して、
そして遠い昔ならば自然淘汰されて死んでいたであろう体の弱い人々や
老人たちが、どんどん世界から消えていっている。
自然の世界では子供たちも弱い存在だが、そこは不思議なように守られているようにさえ見える。
未来を担うための子供たちが無事であることは、ある意味で希望を失わずに済むのであるが、
なんとも不思議な思いがする。
家にこもりきりの時に、日本から絵葉書が届いた。
艶やかな桜に心が踊った。
今年の春は、花を少ししか愛でることができていない。
次のスーパーでの買い出しの時には、花束を忘れずに買おうと思う。
今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


