□ 小山田高家の碑
引き続き
神戸市東灘区御影塚町2-10
にあります
史蹟 処女塚古墳
来た方と反対側にありました石碑
小山田高家の碑
案内板にはこう書かれてありました
延元元年(1336年) 湊川の戦いに敗れた新田 義貞は
生田の森から東に敗走して東明 (処女塚近辺) まで来た
しかし 近づいた追手の矢で馬はたおれ 義貞は馬を降りて 処女塚に登って敵を防いだ
その窮状をはるかに眺めた小山田太郎高家は これまでの義貞の恩義を思い出して
塚に駆け寄って自分の馬に義貞をのせて 東に逃れさせた
高家は塚上に留って敵を防いだが 味方の敗色は濃く ついにこの処女塚の上で討たれてしまった
太平記の描くこの武勇を記念して 弘化3年 (1846年) の代官
竹垣三左衛門 藤原 直道が東明村塚本善左衛門・豊田 太平・牧野荘左衛門
に命じて建てさせたものである
次は田辺福麻呂の歌碑 へ
神戸市東灘区御影塚町2-10
にあります
史蹟 処女塚古墳
来た方と反対側にありました石碑
小山田高家の碑
案内板にはこう書かれてありました
延元元年(1336年) 湊川の戦いに敗れた新田 義貞は
生田の森から東に敗走して東明 (処女塚近辺) まで来た
しかし 近づいた追手の矢で馬はたおれ 義貞は馬を降りて 処女塚に登って敵を防いだ
その窮状をはるかに眺めた小山田太郎高家は これまでの義貞の恩義を思い出して
塚に駆け寄って自分の馬に義貞をのせて 東に逃れさせた
高家は塚上に留って敵を防いだが 味方の敗色は濃く ついにこの処女塚の上で討たれてしまった
太平記の描くこの武勇を記念して 弘化3年 (1846年) の代官
竹垣三左衛門 藤原 直道が東明村塚本善左衛門・豊田 太平・牧野荘左衛門
に命じて建てさせたものである
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