□ 木津 勘助の銅像
敷津松之宮 楠稲荷社
に引き続き
大阪市浪速区敷津西1-2
にあります
敷津松之宮
次は 木津 勘助の銅像
案内板にはこう書かれてありました
青年の頃より豊臣家に仕え
木津川の開拓工事に尽力し
大阪繁栄の基ともなる水運の便と堤防を強化して
洪水の害を防ぐなど その功績は高く評価されている
この銅像は その活躍ぶりを示し 右手に設計図を持ち
手甲脚絆姿の威勢のよい姿で 遠く木津川を望んている
又 木津の勘助さんを有名にしたのは
寛永16年 近畿一円実らず
大飢饉にみまわれ 窮民を救うため
官倉を破りて米俵を振舞い民衆をたすけ
「官 特に死一等ヲ滅ジ葦島に流ス」 とある
義侠の精神は萬古に伝う
と言えるのではないだろうか
次は敷津松之宮 日露戦後忠魂碑 へ
に引き続き
大阪市浪速区敷津西1-2
にあります
敷津松之宮
次は 木津 勘助の銅像
案内板にはこう書かれてありました
青年の頃より豊臣家に仕え
木津川の開拓工事に尽力し
大阪繁栄の基ともなる水運の便と堤防を強化して
洪水の害を防ぐなど その功績は高く評価されている
この銅像は その活躍ぶりを示し 右手に設計図を持ち
手甲脚絆姿の威勢のよい姿で 遠く木津川を望んている
又 木津の勘助さんを有名にしたのは
寛永16年 近畿一円実らず
大飢饉にみまわれ 窮民を救うため
官倉を破りて米俵を振舞い民衆をたすけ
「官 特に死一等ヲ滅ジ葦島に流ス」 とある
義侠の精神は萬古に伝う
と言えるのではないだろうか
次は敷津松之宮 日露戦後忠魂碑 へ