□ 平野郷町大阪市編入記念碑
おちゃいけばし
の次に訪れたのは
近くにあります
平野郷町大阪市編入記念碑

平野郷町の大阪市編入について と書かれてありました

ココにはこう書かれてありました
中世自治都市として有名な平野郷は
近代に入って明治22年(1889年)町制の施行により
住吉郡平野郷町となったが
明治29年(1896年)からは東成郡に属していた
この当時 特に第1次世界大戦以後
産業の近代化の急速な進展により
大阪市に隣接する町村は急速に都市化しつつあった
これをうけて 都市計画の実施や教育制度
社会施設の整備などが急務となっていた
そのため大阪市域を拡張し
統一的な行政制度を確立するべきだという声が高まり
各町村は次第に大阪市に編入されていった
大正14年(1925年)4月1日に 東成郡と西成郡が
大阪市域に編入されたことで
平野郷町は大阪市住吉区となった
平野郷町ではこのことを記念して
杭全神社の境内に
「平野郷町大阪市編入記念碑」を建立し
平成7年(1995年)撤去されるまで同地にあった
なお 現在の平野区となったのは
昭和49年(1974年)のことである
次は筆塚へ
の次に訪れたのは
近くにあります
平野郷町大阪市編入記念碑

平野郷町の大阪市編入について と書かれてありました

ココにはこう書かれてありました
中世自治都市として有名な平野郷は
近代に入って明治22年(1889年)町制の施行により
住吉郡平野郷町となったが
明治29年(1896年)からは東成郡に属していた
この当時 特に第1次世界大戦以後
産業の近代化の急速な進展により
大阪市に隣接する町村は急速に都市化しつつあった
これをうけて 都市計画の実施や教育制度
社会施設の整備などが急務となっていた
そのため大阪市域を拡張し
統一的な行政制度を確立するべきだという声が高まり
各町村は次第に大阪市に編入されていった
大正14年(1925年)4月1日に 東成郡と西成郡が
大阪市域に編入されたことで
平野郷町は大阪市住吉区となった
平野郷町ではこのことを記念して
杭全神社の境内に
「平野郷町大阪市編入記念碑」を建立し
平成7年(1995年)撤去されるまで同地にあった
なお 現在の平野区となったのは
昭和49年(1974年)のことである
次は筆塚へ