旧陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所モニュメント
枚方市上野3-3-20にあります
枚方ファッションモール
アベイルやファッションセンター しまむらのある
敷地の角に
旧陸軍造兵廠 大阪工廠 枚方製造所 建屋復元図
がありました
ココに書かれていた事
このモニュメントは 砲弾・爆弾を製造した
旧陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所の建物の一部を
㈱コマツから譲り受け 部材として制作したものです
戦前 枚方は兵器のまちといわれ
陸軍の施設が禁野火薬庫・枚方製造所・香里製造所
の3箇所ありました
枚方製造所の建設は 昭和12年(1937年)に始まり
この工事には多数の朝鮮人を含む労働者が動員されました
製造された砲弾・爆薬は片町線 津田駅からの引込線
(現:中宮平和ロード)が敷かれ 輸送されました
最盛時には 従業員約3万人を超える大軍需工場となりました
また 昭和14年(1939年) 3月1日 禁野火薬庫が大爆発を起こし
多数の死傷者を出しました
(大爆発から50年後の平成元年(1989年)3月1日を
枚方市平和の日」と定めました)
戦後 旧枚方製造所の機械設備は放置されていましたが
枚方市は 税収増の失業対策のため
民間工場の誘致に乗り出し
国は 昭和27年(1952年)に
小松製作所(現:コマツ)への払い下げを決定しました
しかし 朝鮮戦争の砲弾特需を受注した
小松製作所への払い下げには 禁野火薬庫大爆発を経験した
市民の間に火薬製造反対の気運が高まりました
結局 小松製作所では 旧枚方製作所の施設をそのまま利用して
昭和30年(1955年)まで砲弾の弾体を製造しましたが
火薬を扱うことはありませんでした
その後 倉庫として使用され
平成10年(1998年)に この建物は解体されました
かつて兵器のまちであった記憶を遺すため
「平和のまち」枚方のモニュメントとしました
枚方ファッションモール
アベイルやファッションセンター しまむらのある
敷地の角に
旧陸軍造兵廠 大阪工廠 枚方製造所 建屋復元図
がありました
ココに書かれていた事
このモニュメントは 砲弾・爆弾を製造した
旧陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所の建物の一部を
㈱コマツから譲り受け 部材として制作したものです
戦前 枚方は兵器のまちといわれ
陸軍の施設が禁野火薬庫・枚方製造所・香里製造所
の3箇所ありました
枚方製造所の建設は 昭和12年(1937年)に始まり
この工事には多数の朝鮮人を含む労働者が動員されました
製造された砲弾・爆薬は片町線 津田駅からの引込線
(現:中宮平和ロード)が敷かれ 輸送されました
最盛時には 従業員約3万人を超える大軍需工場となりました
また 昭和14年(1939年) 3月1日 禁野火薬庫が大爆発を起こし
多数の死傷者を出しました
(大爆発から50年後の平成元年(1989年)3月1日を
枚方市平和の日」と定めました)
戦後 旧枚方製造所の機械設備は放置されていましたが
枚方市は 税収増の失業対策のため
民間工場の誘致に乗り出し
国は 昭和27年(1952年)に
小松製作所(現:コマツ)への払い下げを決定しました
しかし 朝鮮戦争の砲弾特需を受注した
小松製作所への払い下げには 禁野火薬庫大爆発を経験した
市民の間に火薬製造反対の気運が高まりました
結局 小松製作所では 旧枚方製作所の施設をそのまま利用して
昭和30年(1955年)まで砲弾の弾体を製造しましたが
火薬を扱うことはありませんでした
その後 倉庫として使用され
平成10年(1998年)に この建物は解体されました
かつて兵器のまちであった記憶を遺すため
「平和のまち」枚方のモニュメントとしました