南海(現ソフトバンク)、大洋(現DeNA)で活躍した、ジョー・スタンカ氏が心不全のため亡くなった。87歳だった。
   スタンカ氏は、1960年に、南海に入団、重い球速とスライダー、シンカーを駆使、7年間で3度リーグ優勝に貢献。1964年の日本シリーズでは、3勝とも完封勝利挙げ日本一に貢献MVPを獲得。圧巻だったのは、第6戦と7戦、2日連続完封の離れ業。後にも先にも、2日連続完封勝利、3完封勝利はスタンカだけ。さすが外国人なだけ体力はすごいものがあったと思う、当時、アメリカの野球は、今では当たり前のローテーションがあって、日本にはまだないに等しい状態だっと思お。それでも、不平不満どころか、自ら申し出たそうだ。
   スタンカにには切ってもきれないあの出来事がある。1961年日本シリーズ第4戦、二死満塁のピンチで宮本敏雄を迎えツーエンドワンから4球目も外の球を「ボール」と判定され、激しく球審円城寺に詰め寄った、直後にサヨナラ打打たれて、ベースカバーに入る途中、球審を突き飛ばした。今のルールなら退場だろな。その前に、エラーが続出してしまった。それがなければ、試合は終わってたのに…一般人が生んだ句で「円城寺   あれがボールか   秋の空」が世間に広まった、この句は!夏井いつき先生でも、赤ペンなしだと思う。
   途中、身内の不幸もあったたが、大洋で日本での野球を終えた。
   通算100勝72敗、887奪三振、防御率3.03。日本ではバッキーと2人だけ100勝挙げてるのは、来シーズンは、メッセンジャーが100勝を達成すれば外国人では3人目の快挙が待ってる