年の瀬も迫った12/9、今から7年前、ある選手が引退会見を行った。
赤星憲広選手が、衝撃の引退。引退理由は、脊椎損傷です。その年の9/12の横浜戦で、内川の打球を追った際、ダイビングキャッチを試みるも取れず、その影響で、いったん体が動かなくなり、人の手を借りないといけないほどになってました。
球団からも、引退を勧告されましたが、赤星自身は、現役を続行するべく、全国の優秀な医師のところに行きましたが、どの医師も、「今のままでは危険」が回答でした。盗塁を成功させるたびに、車いすを贈呈しましたが、自身が、車いす生活を余儀なくされるとも言われた。
秋季キャンプにも参加しました。翌2010年も現役でプレーするものだと思いました。ご存じのように、決して、大きな体ではありません。大きな選手と太刀打ちするには、常に100%の力を出すことを信念にしました。2007年にダイビングキャッチを試みた際に首を痛め、医師から、厳しい条件を突きつけられ、最後の2年間は、恐怖と闘いながら、プレーしたと思います。
最後の試合となった、9/12同じようにダイビングキャッチを試みました。でも、やってしまった後悔よりも、取れなかったことを悔やんでました。今季限りで引退する福原投手を助けたかったともいってました。あの時福原も気に病んだと思います。
赤星選手は、高校時代は2度甲子園に出場、大学、社会人、その社会人時代にプロ/アマ混合ながら、シドニー五輪にも出場。その年のドラフト会議で、野村監督の鶴の一声で、D4位で阪神に入団。その年、新庄がFA移籍で抜けて、入団会見で「新庄選手の抜けた穴は僕が埋めます」と言ってしまい、一気に注目を浴びた。野村監督が、俊足7人の選手を「F1セブン」と命名。赤星が1号者、あと、藤本、沖原、上坂、平下、松田、高波。
開幕一軍を果たし、シーズン終盤は、1番で固定され、長谷川(広島)からプロ初本塁打も記録。球団では吉田義男(元監督)以来45年振り盗塁王(39)そして新人王と、プロ野球史上初盗塁王と新人王のダブル受賞、阪神の野手の新人王は今年の髙山まで出現せず。
盗塁王は01年から5年連続で獲得。プロ9年間で通算381盗塁は歴代9位タイ。安打数も1276本、本塁打3本。
赤星選手の特徴は、塁間3.74秒が示すように、球界トップクラスの俊足。塁に出ると、相手投手が、警戒した。ファンからは『レッドスター』「赤い彗星」後者は応援歌にも、使われた。赤星の盗塁へのこだわりは3S(スピード スタート スライディング)よりも、気持ちと勇気と述べ、福本豊も同じ考えでした。
赤星は、意外な選手をライバル視してました、同世代の荒木(中日)出なく、今はヤクルトで守備・走塁コーチの福地です。当時、広島から西武に移籍した時、一人減って喜んだみたいです。ところが、石井一久の人的補償でヤクルトに移籍で、同一リーグで、盗塁王のライバルが一人増えたと嘆いてました。
赤松(現広島)が阪神にいた時、赤星から、臀部をつけないスライディングを教わりました。臀部をつけるとスピードが落ち、つけなければ、スピードが落ちないみたいです。盗塁するためにこだわっていたのだと思います。
性格は温厚ですが、理不尽や筋が通らないと怒りだすこともあり、チームメートから瞬間湯沸かし器じゃなくチャッカマンと呼ばれた、2008年5月24日のソフトバンク戦でヒーローインタビューを受けた時、聞こえないの野次の「マイクが入ってねーんだよこの野郎」と反論したことが中継に入ってしまい。別の試合でも、ファンの醜い野次に、激怒したことあった。
最後のシーズンは規定打席不足ながら31盗塁。本来なら、翌2010年も現役でプレーしたかったはず。でも、冒頭で書いたように、いつ、あんな形になってしまうかわからない状態。万全な態勢でじゃないと、納得できなかった部分もあると思います。本当に、現役を続けたら通算の盗塁数は600近くできたと思います。オープン戦で引退試合も用意されたが、自身が、現役の選手に配慮して、丁重に断った。
引退後は、日本テレビが中心で、解説をしてます。名探偵コナンの声優として出たこともあります。解説の中心は、走塁の話が中心だと思います。昨年オフ、阪神の監督に就任した金本からオファーがありましたが、首の状態の事もあり、断念しました。いずれは、指導者として戻ってきてほしいです。