「整っているけれど、
なにも感じない言葉が増えたこの時代に」
言葉には、「体温」がある。
わたしは、そう思っている。
何気ない挨拶にも、
テンプレートのようなメッセージにも、
SNSのひとことにも
その言葉がどこから生まれたのか、
わたしはすぐに感じてしまう。
たとえば、
「お疲れさま」という一言にも、
ほんとうに私を見て言ってくれたものと、
「そう書くのが正解だから」と添えられたものとでは、
まったく温度が違う。
前者は心にじんわりと沁みて、少しだけ呼吸がゆるむ。
でも後者は、どこか冷たくて、
読み終えたあと、静かな孤独だけが残る。
最近は、便利な時代になった。
正解のように見える文章も、
聞き心地の良いセリフも、
AIがすぐに差し出してくれる。
でも
心の奥には、嘘は通じない。
どんなに整った文章でも、
どんなに優しそうに見える文面でも、
“感じる人”にはわかる。
それが「生きた言葉」なのか、
それとも、どこかからコピーされた
“形だけのもの”なのか。
わたしは、体温のある言葉が好きだ。
美しくなくても、
不器用でも、
震えていてもいい。
むしろ、その震えの中にこそ、
本当の「人間らしさ」が宿ると思う。
今、世界はとても静かに、
「感じない方向」へ進んでいる。
正解のふりをした、なめらかな嘘。
誰の心にも引っかからない、きれいすぎる文章。
思考も感情も、サンプル化されてゆく。
でも
そんな時代の中でも、
まだ考え、まだ感じ、
まだ傷つくことを恐れずに言葉を紡ぐ人がいるなら、
それは希望だと思う。
たとえ、あなたの言葉が誰かに届かなかったとしても、
「考えすぎ」と笑われたとしても、
それでも、どうか信じていてほしい。
あなたの言葉の体温は、
誰かの冷えた心を、確かに温めている。
それは、これから先もずっと
考えすぎるくらいに生きてる
あなただから、できることだ。
今日も、あなたの言葉が優しくありますように。