幼少時に、
母に連れられて
母の実家に行くと、
事業をされていた事も
有ってか、
叔母さんが、
タクシーを呼んで
色々な所へと
連れて行ってくれました。
帰りがけには
決まった様にして、
時を経た現在でも
残っている様な
老舗とかの、
有名処の御食事処へと
連れて行って頂き、
叔母と母が昔話に
花を咲かせて
談笑しているのを見て、
子供心に
ほっこりしていた
記憶があります、、😊
叔母の家は、
事業を
営んでいるだけに
敷地か広く、
長男夫婦が住む為にと
結婚時に別棟を
建てた様ですが、
敷地内には
倉庫も在りました。
娘さんが日本舞踊で
有名な方の元へと
通われていて、
公演会時には、
長男さんが
運転する車で、
叔母と母と共に
観に行きました、、
日本舞踊に
魅せられた母は、
地元の
舞踊家の元へと
私迄をも
習わせる事にした
様ですが、
未だに、
何を習ったのか迄は
記憶にありますが、
好きこそ
物の上手なれとの
言葉もある様に、
綺麗な着物や帯、
幅広の扇子等を
揃えて頂いた物の、
一向に
乗り気がしない侭に
途中でリタイヤする
事に、、(笑)
張り合いの無い、
子供だった様に
思いますが、、
それでも、
何とか芸事を
身に付けさせたい
との親心からか、
様々な習い事教室へと
通わされていました(;^_^A
まぁ、
下手な鉄砲も
数撃ちゃ当たる
とばかりにか、
ある習い事では、
地元では
有名になった物の
だから何?と言った
レベル、、(笑)
それでも、
叔父や叔母は
喜んでくれた様で、
ソフィや、ソフィやと
可愛がってくれました。
何故か、名前の下に
「や」を付けて
呼ばれていましたf(^^;
まあ、
叔父と言っても、
母とはかなりの
年齢差がで、
私等は、ある意味、
孫の様な存在とも
言える様な
感じでしたが、、💧
叔父の家には、
お手伝いさんが居て、
私達が行くと、
外出しない時は
何か食べたい物を
言いなさいと
叔父から
言われていた事もで、
懇意にされている
料理屋さんから、
お寿司や、
お煮しめ類等を
出前して頂いたりとか、
他の人達が
今日は豚カツが食べたい
と言われると、
私は、
肉が苦手だった事も
有って、
オムライスを
お願いしておりました💕
最近のオムライスは
卵のふんわり感を
感じる様な、
オムライスが主流ですが、
当時の
オムライスは、
刻んだ、
鶏肉と玉葱をご飯を
トマトソース?を、
ベースにして
炒めた物を型で纏めて、
(ケチャップと言うよりも
濃厚なトマト缶を
煮詰めて作った
トマトソースの様な
気が、、?)
薄く伸ばした卵で、
くるんだ物で、
中央部分が、
お定まりの
ピューレ状のソースで
彩られていた様な
物でしたが、
添えられていた
バセリと共に
食べていましたが、
子供心に美味しく
思っておりました😊
そして、それは
叔父の家に行く
楽しみにも
なっていました♪
道すがら、
可愛い靴等を
見掛けると、、
「ソフィちゃん、
これなんか、どお?」
等と言って、
店内に入っては、
本や履き物を
買ってくれたりとか、
私に似ていたから
と言って人形等も
買い置きして
くれていたりと、
可愛がって頂いて
おりました、、😊
宗教団体にこそ、
入っていない様でしたが、
信心深い方だった様で、
事業を立ち上げた
祖父が
新聞に載った時に
使用されたと聞く
銅版画や写真が
置かれた
仏壇に向かって
朝夕、
拝まれているのを
見た事が有ります、、
当時、小学生だった
私に対しても、
そうか、、そうか、、
等と、にこやかに
話を聞いてくれる様な、
優しい叔父でした、、
言葉遣いも
穏やかで優しい
叔父と叔母でした、、
敢えて、
此処には書きませんが、
地元では、良い意味で
有名な方だった様です、、
今更ながらに
幸せな幼少期でした、、😞
食いしん坊です♪
(*´艸`*)


