自然に妊娠したなら育てるし、出来なければ出来ないで2人の生活でイイと思っていた。

夫婦2人の生活はとても幸せだったから。

子供がいるいないで人生が幸せかどうかは決められない。

結局はその人の生き方次第だと思う。

子供は人生の何分の一かを共に過ごし、子育てという体験をさせてもらう相手であって、

私の一部でも所有物でもない。

ある年齢に達したら、彼・彼女はそれぞれの人生を歩いていく。

子育てという貴重な体験はとても素晴らしいものだろうけれど

人生においての素晴らしい体験はそれだけではなく、

もし今回の人生で子供を持たなかったとしても、きっとこの世に生まれてきた別の役割があるのだと思っている。


旦那ちゃんが病院に行こう。と言い出したときは正直イヤだった。

けれどもこれは私だけの問題ではなくて、夫婦の問題で、子供を欲しがっている旦那ちゃんの想いを無視することはできない。。。。

クリニックの対応はとても優しくて親切で、スタッフ皆さんが子供をがんばって作ろうぜ、みたいな雰囲気で(不妊クリニックだから当たり前なんだけどね^^;)
自分の気持ちと周りの気持ちのギャップに戸惑い、また気持ちと行動が矛盾している自分にも戸惑い、
下半身を露出して器具を入れられる妙な虚しさも手伝って初検査の帰り道は泣きながら帰った。
その後も毎回毎回、本当に嫌で嫌で。
途中一度行かなかったのをいいことにズルズル4ヶ月も休んだりした。
でも、旦那ちゃんに「また行こうね」と言われて、しぶしぶ治療再開^^;。

けれど年齢を重ねるごとに心境の変化もまちがいなく起きていて、
私が、積極的に子供を作ることを拒んでまで守ろうとしている今の人生(生活)は、
ひとつの尊い命を産み育てるというそのことと果たして釣り合うのか。
その価値はあるのか。
もし自分に子供を産むことができるのなら、それに挑戦すべきじゃないか。
素晴らしそうな体験ができるかもしれないのに、挑戦しないまま過ごしていいのか。
私は挑戦する権利を持っている。
しかもそれに期限があるならば、できるときにやるべきではないか。
残念ながら女性には期限がある。
挑戦してそれでも出来ないなら、それはそれで私の人生。

とりあえず・・・・

やれることはやっとこ。(考えるのが面倒になった・笑)

あるとき、そんなふうに考え方を変えた。
それまでは、子供がいないことが不幸じゃないんだと言ってる自分なのに(それは今でも思っている)、治療に通う自分。この矛盾が許せなかった。
でも「産めるモンなら産んでやろうじゃないか、てやんでぃ。」と開き直ったら、
憂鬱な世界がパァと明るくなった。
まさしく、案ずるより産むが易し。
いや・・・まだ産んでないし、妊娠するまでも非常に「難し」だったんだけど^^;
そこからは怒涛の治療ラッシュ。

そして現在がある。
今の私は幸せかな・・・うん、幸せだ。
でもきっと、umeちゃんに会えなかった結果だったとしても
やりきった私は、きっと旦那ちゃんと幸せに暮らしているんだと思う。
れも私の人生。
どれも私の人生。

じごんすからのぞけば。【妊娠絵日記】-夕日と家族。


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