おはようございます
朝ドラ エール♪  は敗戦むかえました。
来週は復興の明るいストーリーになるかな?
傘傘傘
陸軍の海上挺進隊(特攻隊) の記事にお付き合いいただきありがとうございます。

陸軍にモーターボートの特攻隊があったことを知ってほしい。
船船船

若潮の塔②のつづきです

引き揚げられたエンジンの話
昭和57年11月フィリピン・タヤバス州基地跡の川底に眠る特攻艇を発見。第7挺進隊の遺族が遺骨がわりにエンジンを引き揚げた。
タヤバスはマニラから約100キロ東南

説明書き
海上挺進第7戦隊は、昭和19年小豆島において編成され同年12月よりタヤバス州マウバンに配備されていたが、振武集団長の命により、海上挺進隊としてラグナ湖を横断。マニラ付近に逆上陸、敵飛行場に斬り込みを敢行する目的で、戦隊長故内田旭少佐の下、第7戦隊、及び第8、第10戦隊の一部は4月3日ラグナ湖畔のマビタック付近より出撃、翌日マニラ市南方パシッグ付近において米軍と激戦遂に全滅の悲運をみたのである。と書いてあります。

ルソン島の中南部を守備する振武集団の命令で、第7戦隊と8・10戦隊の一部がひとつとなり、マニラ守備のため戦ったのです。
(日本軍のマニラ支配を守るため)

地図上の大きな湖を横切ってマニラに接近し、湖からマニラ市街に流れ込んでいるパッシグ川を北上して戦ったのだと推測します。

若潮の碑の隣にあるエンジン

文字に起こしてみると
20歳にも満たない若い人 (こどもだよね) が無残に散っていったのか、出撃するときはどんな気持ちだったのだろう、、、と悲しくなる。

マルレ部隊の生き残りのひとは、
少年兵たちは冒険心にあふれ、活躍してやろうと意気高く活気があったといいます。
陰陰滅滅としてなかった。むしろ溌剌としていたという。悲惨な悲しいむごいとは対極にあったというのです。少年兵らしい希望にあふれていたと。


小豆島の若潮部隊記念碑はもう一つあります。
つづきます
紅葉紅葉紅葉
おまけ
秋の味覚をモーニングプレートにしました紅葉
冒険の日帰り旅にも出かけました。
iCloudのような雲 わたしのデーターもあそこにある?

はぶあないすでい