亀戸天神社には色々な歴史の物語があります。

そんなのを紐解くのも面白いですよ。

亀戸天神塩地蔵

亀戸天神社の御嶽神社の裏、亀ヶ井の碑があるところの右に、塩にまみれた「おいぬさま」を祀る小祠があります

見た目、塩でよく分かりませんが?

元来は亀戸天神の境内にあった摂末社の狛犬だったとされているとのことです。

祈願しながら、この(おいぬさま)に備え付けられている塩を擦り込むと、祈願が成就するという信仰があります
ご利益は「病気治癒」「商売繁盛」のようです。

※せつまつしゃ 摂末社とは、ある場所に所在する神社が複数の社からなるとき、本社とは別にある規模の小さい神社のこと。

よく見えませんがちょっと怖い感じです。でも塩が無いとこんな感じ。 

何故に一体なのかと申しますと、由来は分かっていないそうです。でも

天保9年(1838)『東都歳時記』

「卯の日・亀戸妙義参り」

鳥居から石段を登ったところに、狛犬が描かれています。

この狛犬が現在の「おいぬさま」なのかもしれません。

 

妙義社(御嶽社)内にある塩原太助の石灯篭

塩原太助(1743〜1816)は、本所相生町(現在の両国付近)で薪炭商を営み、裸一貫から辛苦を重ね一代で富を築いた。

その豊富な私財を道路の改修や土木工事など庶民の為に投じたことから義人として語り継がれ「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原」と歌に詠われました。
天明元年(1781)、氏神である亀戸天神社に石燈籠一対を奉納し、今では境内の御嶽神社入口にその内の一基が残っています

三遊亭圓朝『塩原多助一代記』

当初、三遊亭圓朝の得意とした怪談噺の新作として、本作も構想されました

1876年(明治9年)蒔絵師の柴田是真に取材した際は、塩原家の没落にまつわる怪談に興味を持ったが、やがて初代多助が貧困に打ち勝って名を挙げたという立身美談に感動し、この物語を創作することになったとされます。

1878年に完成し、初演される。

1885年(明治18年)若林玵蔵の速記により『塩原多助一代記』が速記法研究会から刊行される。

1891年(明治24年)井上馨邸において作者自身により明治天皇の前で口演される。

1892年(明治25年)1月15日、歌舞伎座で『塩原多助一代記』が上演される。

多助を演じたのは、5代目尾上菊五郎

三遊亭圓生 

塩原多助一代記~青馬の別れ

 

亀戸天神社 梅祭り 

また行きました。早朝8時前

男橋(過去)

平橋(現在)

女橋(未来)

最初に見える太鼓橋は男橋と言います

次に平橋があって、また次に見える太鼓橋は女橋と言うそうです。 

「太鼓橋ー平橋ー太鼓橋」

 それぞれ、過去・現在・未来を表し、橋を渡るたびに身が清められ、神前にて参拝する流れになっています。

くれぐれも逆走しない様に。(笑)

幼少の菅原道真像とうそ塚

女橋
歌川広重
葛飾北斎
江戸時代より浮世絵でも有名です。

平橋

男橋

早朝の亀戸天神。

人も少なくてゆっくり見られました。

亀戸天神梅まつり

ちょうど受験シーズン。合格祈願、または合格のお礼参りで賑わいます。

 

江戸時代の亀戸天神社

今は在りませんが、昔は総門が在りました。

太鼓橋の先に現在は存在しない立派な楼門があり、今以上に立派な境内だったようです。

東京大空襲により焼失

 

いずれも歌川広重の浮世絵

 

撤去された石灯籠

境内入り口・正面太鼓橋の大鳥居側に明治三十五年(1902)在銘の総高488cmの大きな石造燈籠の一対があった。

平成二十三年(2011)三月十一日(金)の東日本大震災後に、参詣者の安全確保のため撤去され、現在は台座のみが残る。

他にも撤去された石造燈籠はある。