オートバイでの予定を変更して、電車でーす
刈谷市総合駅。
駅前が、わけわかめで分かりにくい。
ご一緒する友人と美術館で会いましょう。のつもりで出かけた。
けれど、地図を見ても、美術館の方角が分からず、
おとなしく知人と駅で落ち合う。
駅からほどよく歩くと出てくる、小さな美術館。
普段は、小学生の夏休み研究課題の展示など、市民の小さな発表展が多いとの話。
小さなエントランス。
左手に美術館。
右手に赤いベンチ。
正面に時計塔。
周りの雰囲気とたたずまいが素朴で、好きな空気。
やっぱり、オートバイで来るべきであったか。
美術館に隣接するのは、本格的な茶室。
お茶代は300円。美術展にちなんだ月替わりのお茶菓子なんぞがあったりとこじゃれてる。
残念ながら当日は貸切りのため行けませんでした。
平日の午前中だというのに、普段はがらがららしい小さな駐車場が満車。
会場内は、ちびまるこに出てくる花輪くんぽいおしゃれ30代くらいの男子と、
小学生の頃にきっと中淳雑誌を読んでいただろう、おしゃれおばさまがどっちゃりの大混雑ぶり。
中淳人気、衰えずといった雰囲気。
この時間、働いているだろうと思われる20代~40代の女性はこの日はいなかっけれど、この分だと土日は大大反響なんだろうな。
なんだかねー最近の、美術展に行った中で、ピカいちのわくわく感

これはきっと、中原淳一回顧展自体が珍しいから
「何が展示されているか、未知の世界」というのが大きいかも。
ロビーで迎えてくれた、中原淳一ファッション。
可愛い

りぼんやリボン柄の生地を身につけていくと、入場券が割引

なんてこともしていて、乙女心を刺激してくれます。
もちろん、あたくしたちは、当然、リボンを身につけ中淳ワールドに参加表明して入場

さて、なんでマネキンかっていうと、中原淳一が、ファッションデザイナー兼広告デザイナーだったから。
雑誌の編集や出版をしてはヒットを飛ばしまくり、
デザインしたグッズも売れまくったマルチな売れっ子デザイナーだった。
人気が出過ぎて、日中戦争の頃から「華美だから悪」という理由で、デザインを禁止されたらしい。
今、流行のライフスタイルやお部屋コーディネイトなんかもすでに提案してた。
中淳提案のコーディネイトを再現したお部屋。
展覧会を見て印象的だったことがいくつかある。
中原淳一が、日本女性は創意工夫が苦手だと言っていて、
器用なんだから諦めないでと強く助言していること。
もうひとつは、中原淳一が編集している少女向け雑誌で、
ファッションについての助言だけでなく
「しつけや規律」について諭していることにびっくりした。
私が知る限りの女性誌で、
「掃除や身だしなみをこうすれば、運気がよくなる」
とかは書いてあるけど、
「かしこい女性として、あなたは掃除や身だしなみに気を配るべきなのです」
なんて読んだことない。
「美しい少女時代は、今だけの宝物だから、大切にして最大限に理知を積んで楽しむべき」ともある。
あたくしは少女の頃、美しいものよりも、どれだけ自分を汚せるかに挑戦していたような気がする。
まあ、青春ってそんなもんだけどね。
今回の展覧会で心惹かれた作品
中原淳一が描く、童話のシルエット 人魚姫
童話の世界をさまよい、ストーリーに隠された本当の意味を知ってほしい。
ってなキャプション付き。
ところで、中淳展を観た後、たまたまある建築家男性と知り合う機会があった。
その建築家は、過労で倒れ医者から仕事を止められてから、ぱったりと仕事を辞めて今に至るらしい。
依頼、仕事を辞めてから建築のことをずっと忘れて、というか、気がつけば病の影響なんだけども、仕事以外の事。例えば家族のことや自分の家の場所までも忘れてしまっていたらしい。
それが、今まで自分が建てた建物のことを思い出したという。
仕事をしていた当時、商品としか考えてなかったその建物を、作品という目で見て歩き、事績として残したいと考えはじめたそうだ。
建築家の話を聞きながら、どっかで聞いた話だな~と思ったら、中原淳一の最期の画集だ。
中原淳一は、売れすぎて過労がたたり倒れて、医者から仕事を止められてからは筆を折り長い療養生活を送っていたそうだ。
それが、死ぬ直前。新しい作品を作りはじめる。
戦前戦後から女性を描き続けていた中原淳一。
彼が最期の仕事に選んだのは、自分が描いて来た日本女性を、日本の文化史として残すために改めて描くというしごとでした。
時代が変わっても、男性という生き物は変わらないのかなって、ちょっと思ったそんな秋の中原淳一展でした。