こんにちは
心と身体を癒やす専門家
自然療法薬剤師の緒形良子(おがたよしこ)です
我が家のあるつくばもすっかり涼しくなりました。
お彼岸です。
今週は、久しぶりに私の実家の墓参りに行きました。
というのも、今年のお盆に曽祖父(ひいおじいさん)のことがふと思い浮かんで以来、なぜか何度も繰り返し思うようになりました。
父方の曽祖父(ひいおじいさん)は、私が生まれる前に亡くなっているので、私は写真と、話だけで見聞きしているだけですが、親類が昔の話をすると、何かと話題に上る人物でした。
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商家の婿養子~曽祖父のこと
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私の家は昔からの、商家で高祖父(ひいひいおじいさん、祖父の祖父)が、コメと炭を扱う本家から江戸時代の終わりに分家することで、成った家です。海産物を扱う問屋として、明治から大正時代に発展したと聞いています。
私たちは、高祖父を「初代」と呼んでいます。
思い出していたのは、その婿養子であった、2代目の曽祖父のことです。
初代の一人娘の娘婿として、家に来た2代目の曽祖父は、「飲む、打つ、買う」の3拍子で、家業に身が入らない。
家業も2代目の放蕩のせいで、傾いた、当然仲も悪く。。。。親せきの評判も芳しくなく、などなどという話を聞いていました。
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本当はどうなのか?
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それが嘘か誠か、まだ、仕事人としてまだまだという年齢で、「詰め腹を切らされた」らしいのです。
実際私は、「家督」を息子に譲り、「隠居」するという、「隠居届け」という書面を見たことがあります。(正式に公に出さなくてはならないものなのか、親せき達の前での宣言文だったのか?)
日付は確か、昭和10年(1933、4年?)ころの日付が書いてあったと思います。
でも時代は、世界大恐慌のあと。
1930年代の日本も、大不況の嵐が吹き荒れていた時代です。何をしてもいろいろ難しい時代だったはずです。
2代目の曽祖父は、そのころ何をしていたかというと、土地を買っていたのです。また、とある数字の付く銀行の設立にもかかわったことがあると聞きました。
何をしようとして、そういう行動をしていたのか?
たぶんその不況の時代に新たな道を模索していた気がします。
その道を確立していこうとしていた矢先だったと思うのですが、道半ばにして、隠居させられ、お金を使うこともできなくなり、道を絶たれた気がしてなりません。
先まで行ったらどうなっていたのか?
父母、叔父叔母も他界した今となっては話を聞くこともできませんが、そういうことに思いを寄せる時間となりました。
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墓参りで気づいたこと
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叔父たちも他界してはいるのですが、実家は、実の姉が家を守っていてくれて、墓参りと一緒に訪ねてきました。
その折、父の下の叔父も以前2代目の功績について、語っていたという話も聞けました。
墓には、私の家の墓のほかに、15年前に亡くなった、その叔父の新たな墓所があり、姉とそういう話をした後だったこともあり、その叔父の墓にも話しかけることができました。
その叔父は、実は私が生まれる日、産気づいた母を病院のある千葉市(津田沼から、千葉医大のあった、千葉市猪鼻町)に車で連れて行ってくれたと聞きます。
そんなことも、言う叔父ではなかったので、一度も直接お礼を言ったことがなかったのですが、小さいころ父母の話から聞いたことをを思い出し、感謝を伝えることもできました。
自分の出自のことまでさかのぼって、思いもかけず感謝を伝えられたのは、墓参りに来たらこそで、本当によかったと思います。
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「緒形」家の墓参り
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もちろん、いつものように「緒形」の家の墓参りも翌日にはしてきました。
自宅から120キロ離れている千葉の山奥にある墓は、いつも休日を外して車でいっています。
家の周りにある、柿は色づき始めていました。
1つだけ木に残っていた、栗の実を枝ごと手折って、帰ってきました。
夫と今年も元気に秋を迎えられたことを感謝して、お墓参りを終えました。
今日も最後までお読みくださってありがとうございました
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今日も一日お元気でお過ごしください。
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