自分の本質はなにかと探求するなかで、
膨大な数の本を読んだ本


読み慣れるに従って、
そういう表現に感動することが増えていって、

あ、まさにこれだ!
この体験、なんとなくわかる!
あと、もうちょっとで
何かが確実になる!
「その感覚」でありたい、
「一体性」を感じていたい!
私の思考はそういうもので
ずっと占められていた。
読んで、浸って、静寂であって。

でも、
元からあるものを、
なぜ探すんだろう?
自分そのものは、そもそも言葉で表せるものでもないんだから。
身体、心、知覚、
それらに左右されずにあるものとは?
そんな思いもあって。


極端な話、私は死ぬまでに
どうしても、自分というものが何かを知りたかった。
なぜそう願い続けたのかはわからない。子どもの頃から。


ここ数年は特に家のなかも、
自分の個人的なことでも、衝撃的なことがあったため、
それを消化するのに
相当混乱していた。
探求の内容には直接関係ないことだけど、
それ以降、自分を知りたいという気持ちがますます募った。

ギリギリまでいった、と自分では思っていた。
自分なりに探求を詰めていって、でも、それをどこに持っていけるんだろう。
知識も体験も、私じゃない。
脳や四肢や私を構成する成分が消滅すれば、
あっけなく消えてしまうものだ。


それで、ぽんっと手を離したのだ。全部。