自然な動きのなかにも、
完璧さはある。
一服しようと、お茶を淹れるとき。
スムーズに流れてゆく会話。
寝転がって読む本や
熱い湯船にぼうっと浸かるひととき。
“私”という思考が湧かないとき、
目の前のことは、
ただ映っては過ぎる。
映っては過ぎるものと、自分を区別するものもなく。
自然さだけがある。
そこに疑問を持つまでは。
少しの刺激で、
“私”、“あなた”、“あれ・それ”と、世界が現れて、
あっという間に歯車に組み込まれてしまったかのように思えるけど。
概念や習慣がどれだけ強固に見えても、
自分自身の本質は、透明で境界のない
意識そのもの。
そこに、チョークか何かで線引きは不可能だし、
意識に私もあなたもそれもこれもない。
誰かに、
「あなた」と呼ばれて返事をするとき、
声帯が答えるわけではない。
肉の身は答えない。
こうして書いて、
自分でそれを読む。
言葉は言葉。
意識、存在、非二元、ノンデュアリティー・・
スピリチュアルワードはいろいろあるけれど、
意識そのものに浮かぶ金平糖みたいだ

ハテ
何故に金平糖が出てきたかと思えば
少し前に、TVで金平糖のお店が紹介されてたのを観たからだ

可愛くてめずらしい種類がたくさんあった。
実体のない言葉と違って、甘くて、実用的。
溶けてしまうまでは


完璧さはある。
一服しようと、お茶を淹れるとき。
スムーズに流れてゆく会話。
寝転がって読む本や
熱い湯船にぼうっと浸かるひととき。
“私”という思考が湧かないとき、
目の前のことは、
ただ映っては過ぎる。
映っては過ぎるものと、自分を区別するものもなく。
自然さだけがある。
そこに疑問を持つまでは。
少しの刺激で、
“私”、“あなた”、“あれ・それ”と、世界が現れて、
あっという間に歯車に組み込まれてしまったかのように思えるけど。
概念や習慣がどれだけ強固に見えても、
自分自身の本質は、透明で境界のない
意識そのもの。
そこに、チョークか何かで線引きは不可能だし、
意識に私もあなたもそれもこれもない。
誰かに、
「あなた」と呼ばれて返事をするとき、
声帯が答えるわけではない。
肉の身は答えない。
こうして書いて、
自分でそれを読む。
言葉は言葉。
意識、存在、非二元、ノンデュアリティー・・
スピリチュアルワードはいろいろあるけれど、
意識そのものに浮かぶ金平糖みたいだ


ハテ
少し前に、TVで金平糖のお店が紹介されてたのを観たからだ

可愛くてめずらしい種類がたくさんあった。
実体のない言葉と違って、甘くて、実用的。
溶けてしまうまでは


