非二元、“これ”があるだけ、という話のなかでは
よく「私はいない」というフレーズを耳にする。

このジャンルにあまり触れたことのない目から見ると、
なんだか凄く「特別な人」とか、場合によってはもっとエキセントリックな印象を受けることもあるかもしれない。


個人性が完全に破壊された、
(例えば、起こったことについて、思考で後付けされた苦しみはない、苦しみを持つ自分はいないetc…)
というくだりを聞く。

“意識と呼んでるもの”自体しかないから
確かにその表現は正しいんだけど、
理論の面と「私たち人間やってる」っていう実生活の面から見ると、
「私たちは直接には、個人性のないこれそのもの」、同時に
「人間やってる以上、苦しみや色々見たくもないと感じるものにも遭遇せざるを得ない」
って思う。


だから、ずっと「私とは?」とか「ワンネスとは?」とか探求をやっていて、
それがある日終わる。
“これ”。
とりあえず疑問は消える。

でも、私の場合は探求は終わっても、苦しむことはやっぱりある。
ただ「自分とは何か?」という疑問が消えただけ。
でも苦しみは自然に起こることだし、あるものはしょうがないと思う。

あくまでも私の独り言。