非二元系の本を読み馴れてきて
“表現の意味を自分はわかっている”と思っていた時期に、
気付いたら軽 い瞑想のような感じになってることがよくあった。
その頃、私にとって
“絶対”のものがあり、それだけがすべてで、現れがそれそのもの。という文脈を読んで
想いを馳せるだけで、
なんだかとてつもなく満たされる感覚があった。
そのまま、身も心もリラックスして、
凄く気分が良い。
夢か現かさだかでないまま
すべてが融解するみたいになって、
何もわからなくなって
次の瞬間、ハッとすると、自分は部屋に居て、全部が戻ってる!
というような。
そのとき私は
“これはきっと素晴らしいことなんだ、前よりも凄いことが起きたんだ!”
と、ひとりで悦に入っていた。
でもこれは単に一定の状態。
瞑想が、ひとつの状態。
もしそれに必要以上にのめり込んで
その感覚に繰り返し浸りたいと思っていたら、ずっと肝心なところですっきりしないままだっただろう。
「純粋意識」、「気づき」、「存在」などの言葉は便利が良いけど
こういうこともあったなあと思い出す。
“表現の意味を自分はわかっている”と思っていた時期に、
気付いたら軽 い瞑想のような感じになってることがよくあった。
その頃、私にとって
“絶対”のものがあり、それだけがすべてで、現れがそれそのもの。という文脈を読んで
想いを馳せるだけで、
なんだかとてつもなく満たされる感覚があった。
そのまま、身も心もリラックスして、
凄く気分が良い。
夢か現かさだかでないまま
すべてが融解するみたいになって、
何もわからなくなって
次の瞬間、ハッとすると、自分は部屋に居て、全部が戻ってる!
というような。
そのとき私は
“これはきっと素晴らしいことなんだ、前よりも凄いことが起きたんだ!”
と、ひとりで悦に入っていた。
でもこれは単に一定の状態。
瞑想が、ひとつの状態。
もしそれに必要以上にのめり込んで
その感覚に繰り返し浸りたいと思っていたら、ずっと肝心なところですっきりしないままだっただろう。
「純粋意識」、「気づき」、「存在」などの言葉は便利が良いけど
こういうこともあったなあと思い出す。