戦国時代の堺は,会合衆と呼ばれる有力商人たちにより自治的な都市運営が行われた。この街に滞在したイエズス会の宣教師ガスパル・ヴィレラは「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる。」と評した。当時,ヨーロッパ諸国に東洋のベニスとして認識された堺は,鉄砲の一大生産地帯であり,かつ日本有数の国際貿易港で火薬原料の硝石や弾丸原料の鉛の輸入窓口だった。
堺で造られた各砲術流派の鉄砲
火縄銃に用いる黒色火薬の成分は,その75%を硝石が占める。地下資源としての硝石は日本では産出されず,硝石はそのほとんどを海外からの輸入に頼っていたのである。硝石を手にするものは,火薬を手にし,火薬を手にしたもの天下を制するである。このことをよく知っていたのは,織田信長だった。1568年,織田信長は,流浪の足利義昭を奉じて上洛を果たした。信長は,室町幕府の将軍の座に就いた義昭から幕府内の最高栄誉職である「副将軍」や「管領」の就任を勧められた。しかし信長は,これを固辞し,代わりに『堺』・『大津』・『草津』に代官を置くことを求めた。これを聞いた世の人々は,信長の無欲さに感嘆したという。
しかし,信長は,そんな甘い男ではない。当時の堺は,鉄砲生産の一大工業地帯であり日本最大の貿易港だった。大津や草津は,東海道と中山道,北国街道が交差する交通の要衝で東日本への物流拠点だった。
つまり『堺』・『大津』・『草津』を支配してしまえば,東日本の諸大名へ経済封鎖を行うことが可能になるのである。これら国際貿易港や物流拠点を抑えられてしまえば,東国の諸大名は,火薬原料の硝石を手に入れることが極めて難しくなる。火薬がなければ鉄砲という当時の最新兵器は,例え何千丁あったとしてもクズ鉄の山に過ぎなくなってしまうのである。
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