堺の菓子と堺の鉄砲 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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 『物のはじまりゃ なんでも堺 三味も小唄もみな堺』と唄われるように、中世における日本最大の貿易都市・商業都市として栄えた堺は、経済的にも文化的にも日本をリードした。鉄砲商人の橘屋又三郎や茶の湯の千利休に代表されるように堺は,技術や文化の発信基地でもあった。摂津・河内・和泉の三国の境に位置した堺には,海外から生糸や絹織物,更紗,陶磁器,香料,火薬原料の硝石など様々な文物が流入した。その名の通り堺は,海外と日本の境だった。

  輸入品の中には,砂糖もあった。当時の日本では砂糖を生産できなかったため,砂糖は目の玉が飛び出るような貴重品だった。南蛮貿易が始まり,砂糖が大量にもたらされるとともに茶の湯の隆盛が拍車となって,堺の製菓技術は大きな進歩をとげた。今も堺には,中世に創業した和菓子屋が何件も残っている。鎌倉時代末期の元徳元年(1329年)に創業したかん袋,天文元年(1532年)に創業した本家小嶋などがそれである。

 

かん袋の「くるみ餅」

photo by sakai-tcb.or.jp

 

本家小嶋 の「芥子餅(けしもち)」

photo by honkekojima.com

 

 南蛮船が種子島に鉄砲を伝えたとの情報に接した堺の商人橘屋又三郎は,直ちに種子島に向かった。種子島に一両年滞在して鉄砲製造技術を習得した又三郎は,堺に戻り鉄砲の製造と販売を行い「鉄砲又(また)」の異名をとるほどの成功を収めることになる。

 

堺で作られた各種の鉄砲

 

 当時の堺には,様々な情報が集まり,そしてその情報に反応し,冒険を怖れない野心的な男達がいたのである。国際的な貿易都市や商業都市というのは,時代の流れに鋭敏で行動力あふれる人間を育てる揺り籠なのかもしれない。