「三省堂 辞書を編む人が選ぶ今年の新語2025」が発表されました。2025年によく聞いた、よく見た言葉で、今後辞書に載せてもいいんじゃないかという言葉を一般から募り、辞書編集者たちがベスト10を選ぶというものです。流行語大賞とはまた別のものです。
その8位に「体験格差」がランクインしました。体験格差については、現代社会の歪んだ子ども観を象徴する言葉だなと個人的には思っていて、私も今年、どちらかというとその言葉がもつ社会的影響力の負の側面に着目して、批判的な本を『子どもの体験 学びと格差』というタイトルで出しましたし、このコーナーでも何度かお話ししましたから、この番組もこのランクインには多少なりとも貢献したんじゃないかという気がします。
ランクインした言葉には、辞書の編集者が辞書風の説明をつけてくれます。体験格差については大辞林の編集者が次のような説明をつけていました。
「家計の苦しさから、子供にスポーツや習い事、旅行などの機会を与えられないなど、子が得られる体験に、親の社会状況や経済状況によって生じる格差。」
核の部分は「子どもが得られる体験に生じる格差」ということですよね。
「体験の“違い”じゃなくて“格差”ってなんなの? 量なの質なの?」というツッコミはもちろんあるんけすけど、それはここではおいといて、大事なのは、得られる体験の違いによって生じる「将来的な格差」ではないということです。
似たような言葉に「教育格差」がありますが、こちらは、子ども自身にはどうにもできない“生まれ”によって将来的な学業成績や学歴に差が生じることをいいます。時間の幅がある言葉なんですね。
体験格差についても「子どものころの体験が不足していると、子どもの将来に影響するよ」みたいに能力主義にからめるような使い方をしてしまうと、とても危険だと思います。
競争社会を戦う武器を得るための体験ってことになっちゃいます。「より強力な武器を得るための体験は何?」みたいな損得勘定が始まってしまいます。
将来会社でうまくやっていくためのソーシャルスキルを身につけるためにチームスポーツをやりなさいみたいに、子どもの体験に目的を設定するのって気持ち悪くないですか。
たとえば釣りという体験ひとつをとっても、魚の引きの強さに感動する子もいれば、流れていく川の水面を綺麗だなあと感じる子もいれば、釣りをする海や湖まで行く道のりに感動する子もいれば、釣れた魚を食べることに関心がある子もいるわけですよね。
体験から何を感じとるかはひとそれぞれだし、それこそがそのひとらしさです。こういう体験をすれば子どものこんなところが育つなんて法則はありません。
さらにいえば、何かをした、どこかに行った、楽しかったという体験よりも、うまくできなかった、行きたいところに行けなかった、悔しかったという苦々しい体験からのほうが、ひとは多くを学んだりしますよね。そっちのほうが、人間の魅力というか深さになっていくということがありますよね。
お友だちと喧嘩したり、放課後にやることがなくてぼーっとしたりするのも子どもにとっては大事な体験です。習い事や旅行なんかよりよっぽど大事だと思います。それはいましかできないことだから。
体験格差という言葉は、家庭の事情によってやりたいことができない子どもの存在に社会的な関心を集めるためにできた言葉です。そういう子どもには社会としてのサポートが必要だと私も思いますけれど、だからといって「習い事や旅行に行ったりすることが子どもの成長に不可欠だ!しかも多ければ多いほどいいんだ」みたいな社会的風潮は、子育てをますますつらくするし、子どもたちをますます息苦しくしますからやめましょうねというメッセージを、さきほどの辞書編集者さんの説明に添えたいと思います。
※2025年12月11日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。

