不登校35万人時代。「ネット出席」が話題になっている。聞いたことがあるだろうか。

「ネット出席」とは、一定の条件を満たしていると校長が判断すれば、自宅からオンライン教材を利用して学習しても、指導要録のうえでは学校に出席したのと同じ扱いになること。

いま、自宅からマイペースで国語・算数・理科・社会などの学習ができるオンライン教材というのがいろいろある。イーボード、キュビナ、すららなどが有名。

今回、すららを開発・販売する会社がその利用者を対象にアンケート調査を行った。児童生徒156名、保護者244名の計400名から回答を得た。

「ネット出席制度を知っているか」という設問に対し、子どもの63.5%、保護者の26.6%が「名前は知っているが内容は知らない」または「聞いたことがない」と回答。認知が不十分であるとして、そのオンライン教材会社は記者会見を行った。

オンライン教材での学びであれ、家庭的なフリースクールでの学びであれ、農村体験を通しての学びであれ、学びとして認められるべきだと私は思う。

一方で、そもそも出席日数など気にしなくても、小学校も中学校も卒業できる。中学生が高校受験に影響することを怖れる心理は当然だが、それとて本来は、学校に行けないだけの生徒が不利にならないように高校入試のしくみを変えればいい話。では、「出席扱い」って何?という話。

子どもの6割以上が「ネット出席」を知らなくても不思議ではない。そんなこと、子どもにとってはどーでもいいことだから。「形式」を気にするのは大人だから。

私はこの1カ月半ほど、フリースクールを取材して飛び回っている。フリースクール関係者には「出席認定」に価値を置くひともいれば、「そもそも学校から認めてもらわなきゃいけないものなの?」と疑問を呈するひともいる。

海外には「不登校」という言葉がそもそもないとよくいわれる。学校以外で学ぶのも当然の権利とされているからだ。「不登校」という言葉自体が「教育は学校で行うもの」という暗黙の了解を前提にしている。

同様に「出席認定(出席扱い)」という言葉も、学びにおける学校という「権威」あるいは「特権」を前提にしている。

出席扱いとは別に、成績評価という問題もある。学校的な学びが合わなかった子どもの学びを学校の尺度で評価するというのはそれ自体矛盾である。

出席至上主義だと、社会は足下をすくわれる。「出席認定」の実績があるオンライン教材を導入しただけで専門的知識のない塾業者(昼間の教室)やIT業者(メタバース)がその日から「フリースクール」の看板を掲げる事態も予測される。いわゆる「不登校ビジネス」の新形態だ。

その意味で、校長判断による「出席扱い」というのは、いわゆる「不登校ビジネス」の暗躍を水際で食い止める役割を、校長が担っていることともいえるが、判断は極めて難しい。校長にとっても負担の大きい仕事だろう。

塾やIT業界が不登校の子どもたちの居場所をつくることは大歓迎だ。ただし、不登校の背景は十人十色。出席認定がもらえることで満足して思考停止に陥ることなく、専門知識をもった職員がそれぞれの子どもへの適切な係わりを継続的に行える体制を、各フリースクールには実現してほしい。

「出席認定」という概念自体を社会として手放すことが、不登校に関連するさまざまな矛盾を解消する鍵になるのではないかという逆説にいま私はたどりついている。具体的には来春出版の本の中で論じるつもりだ。

不登校児童生徒に対する支援で学校に戻すことを目的にしないことなどを明示した教育機会確保法の成立から来年で10年を迎える。その改正にも期待したい。
 

※2025年11月27日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。