君こそ『千里の馬だ』。T君のこと・・・。 | fadoおじさんのblog~明日の君に~

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子ども達の未来を共に考える、小さな個別指導の学習塾の先生fadoおじさんのblogです。

 数ヶ月前だと思うが、テレビ東京の『「開運」なんでも鑑定団』という番組を何となく観ていたら、中国の宋時代の版本「韓昌黎集(かんしょうれいしゅう)」が9冊出ており、3億円の値段が付きました。その時、鑑定した先生が「この本には有名な『雑説(ざっせつ)』が書かれています」と言って、白文を訓読して1、2行読んでくれました。

 

 『世(よ)に白楽有(はくらくあ)りて、然(しか)るのち千里(せんり)の馬有(うまあ)り』・・・。と、訓読して、更に「世の中には馬の良し悪しを見分ける名人が居るからこそ、その後で一日千里(3900㎞)走ることが出来る馬が存在するのである」と意味を説明して、「人間社会でも十分通用する格言なので覚えておくといいですよ。と付け加えました。

 私は、その時、「生徒たちの中には、千里を走ることのできる馬は沢山いる。それを見出し育てるのが私のような仕事をしている者の役割なのか?」と雷に撃たれたような衝撃を受けました。あらためて「まだ呆けてはおれない」と思ったものです。(笑)

  

 世(よ)に白楽有(はくらくあ)りて、然(しか)る後に千里の馬有り。

 千里の馬は常にあれども、白楽は常に有らず。

 

 私たちは、この韓愈の漢詩「雑説」を、高校の漢文で学んだことがあるので、ご存知の方も多くいる事と思います。

 

 「千里の馬というのは常にいるが、それを見極める白楽(指導者)という存在がなければ、どんな名馬も気付かれることなく、使用人に粗末に扱われ、千里の馬と称えられることもなく、普通の馬と一緒に一生を終えてしまう」。という大意ではあるが・・・。

 

 最近、特に、「子供たちを指導するとはどのような事なのだろうか」と思う。成績が伸びる子は、指導する者が「純粋であり(ここが大切である)」いい加減な事や間違えたことをしない限り、必ず伸びるし・・・。伸びない子は、どんなに優秀な教師が教えても、伸びることは希である。では、お前は何をしているのだ・・・。と言われると返す言葉もないが・・・。

 

 『教育とか教育機関は、何をするところか?』と問いただすことから始めなければいけないのですね。

 

 そこで、彼らや彼女たちにしっかりと親身になって寄り添い、少しずつ人格が良い方向へと変化するまで「待つ」というのが、我々の重要な役割ではないだろうか。『待つ、見守る』。これはとても大変なことですが。

 

 

 旧聞ながら3月6日(木)は、国立大学前期合格者発表日だった。

 

 午前の11時ごろ、私のスマートフォンに、T君から『先生、Tだけど、○○大学(東北のかなり勉強量が必要な大学。本人の希望で大学名はふせます。)の理工学部に合格しました。今日、母親と一緒に挨拶に行きますので、先生は何時ごろ教室に居ますか?』という連絡が来た。

 

 その日の3時ごろ、本人が選んだという日本酒(土佐の銘酒「酔鯨」純米大吟醸)を一本抱えて挨拶に訪れたT君は、『先生これ・・・。』と、その酒を私に手渡しながら、にっこりと微笑んだ。

 

 『Tが、唯一信頼していたのは、○○先生(私)でした。先生と出会えなければ、今のTはあり得ません』。と、お母さんが、背中が「ムズムズ」するような社交辞令を言うと、T君はニヤニヤしながら亀のように首を縮めた。

 

 T君が、私の教室にやってきたのは、彼が中学生になる春休みのこと。彼は、『大人は誰も信用しないぞ!』という態度を示した。

 

 そんな彼に、私は、何食わぬ顔をして・・・。

 

 『T君、この教室は本当に変わっていてね・・・。勉強なんて「つまらない(知識の詰め込み)」ことは、一切教えないよ。

勉強なんて、君が必要と感じたらするといいしね。

 私がただ一つしてあげることは、T君、君が「成熟した大人(社会人)になるための手助け」をすることだよ。

 「成熟した大人」って字面は抽象的だけど、簡単だよ。君の周りにも、自分のことだけしか考えない、利己的でいやな奴はいるよね。(橋下某とか堀江某とか竹中某とかのように)世界中がそんな奴らばかりだったらどうだい。毎日が、嫌になるし、楽しくないだろう。

 反対に一緒に居ると楽しくなる人も居るだろう。たいがいそんな人は、親切で、責任感が強く、寛容で、共感力が高く、想像力が豊かで、そんな人ばかりだったらどうだい・・・。そのような人のことを「成熟した大人」って言うんだよ。

 でもね、そう育てるのは、とても難しくてね。君がそのように成長してくれるまで私には「待つこと」しか出来ないんだよ』。と、伝えた。

 

 私は、40年程、教育という現場に身を置いているが、ある時期から一般的な「指導する」と言う「おこがましい考え」で子供たちに接するのをやめた。子供たちは「自力で成長する」。そのための環境を整備するのが「私の役割だ」と決めたのだ。

 

 子供たちが何かを言おうとした時、黙って耳を傾ける。途中で話の腰を折らない。「要するに君はこう言いたいんだね」などとは決して言わない。だから、これはとても難しいことなのである。だって子供たちが「この先生には心を開いても大丈夫だ」と、思ってもらうのだから・・・。「信じてもらう」ことから始めなければならない。だから「暖かく見守ること」は途轍もなく難しいことなのである。

 

 でも、すぐに子供たちに伝わることがある。それは「敬意」である。他人が自分に対して「敬意」を持っていることは、子どもにもわかる。教育に「愛」を持ち出す人がやたらと多いが、「愛」は感情である。必ずしも伝わるとは限らないし、愛は、憎しみにかわることすらある。しかし、「敬意」は必ず伝わる。だから、教育に「愛」を持ち出してはいけないと私は思う。

 

 彼と過ごした6年間は、本当に私を成長させてくれた。

 

 彼が中学校の時、未熟な私は、強引に「教え込もう」としたことが何度かあった。そんな時、彼は「悔し涙」で私を「いさめ」てくれた。

 

 高校2年生の時だった。彼は、写真(カメラ)に興味を持った。そして、何度か写真展に作品を出品したことがある。また、何度か「先生、この写真どう思いますか?」と言って、恥ずかしそうに見せてくれたことがあった。

 そんな彼が、真剣な顔をして、「先生、○○(大手光学メーカー)に行きたいので、大学は○○大学(かなりレベルが高く彼の通っている高校からは合格者が出ていない)の理工学部に行きたいんです」。と、言って来たことがある。彼が初めて将来について語った時であった。黙って見守って来たことが実を結んだ時である。私は、彼の成長に喜びがこみ上げてきた。

 

 そして・・・。合格!

 

『俺を認めてくれたのは、○○先生(私)しかいなかった』・・・。と、彼が入会に際して彼の母親に言った言葉である。

 

 私は、未だ「白楽」にはなり得ない。しかし、T君、君は自らの力で「千里の馬」になった。「君こそ千里の馬だ!!!」

 

 K君のために 『若者よ』 作詞:岩谷時子 作曲:弾厚作 歌:加山雄三

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 風にふるえる 緑の草原

 たどる瞳かがやく 若き旅人よ

 おききはるかな 空に鐘がなる

 遠いふるさとにいる 母の歌に似て

 やがて冬がつめたい 雪をはこぶだろう

 君の若い足あと

 胸に燃える恋も 埋めて

 草は 枯れても

 いのち 果てるまで

 君よ 夢をこころに

 若き旅人よ

 

 赤い雲ゆく 夕日の草原

 たどる心やさしい 若き旅人よ

 ごらんはるかな 空を鳥がゆく

 遠いふるさとにきく 雲の歌に似て

 やがて深いしじまが 星をはこぶだろう

 君のあつい思い出

 胸にうるむ夢を 埋めて

 時は ゆくとも

 いのち 果てるまで

 君よ 夢をこころに

 若き旅人よ