Nesta Rua(我が道)ブラジルの童謡による変奏曲I.Savio(イザイアス・サヴィオ)編曲
For Ingrid
この道の向こうには森がある
その森には天使が住んでいた
もしこの道が私の道だったら
この道をビロードの絨毯で敷きつめるでしょう
私が恋した天使が通るように
別の世界に住む森の彼に会うために
天使に会いに行けるなら
この道に宝石をちりばめるでしょう
それなら通してくれるというのなら
会いに行けるというのなら
恋しい天使さま
この森のどこにいるのでしょう
私の心をうばった天使さま
宝石やビロードで飾っても
たどり着けない暗闇の森
この道が・・・私の道なら・・・会いに行くのに
この美しくも物悲しいギター曲を知ったのは、高校2年生に時だ。突然当時流行していたギター(フォークやエレキ)が弾きたくなったのは、高校1年生の時。高1の夏休みと高2の春休み。川端の農家に泊まり込みのアルバイトに行った。夏は農作業、春は原野の開墾・・・。
高校2年生の1学期、アルバイトで貯めた1万5千円を握りしめ、札幌の楽器店にギターを買いに出かけた。どういう訳か、成り行きで1万2千円のクラシックギターを買った。ケースが買えず段ボールの箱に入ったギターを抱えてバスに乗って帰ってきた。
「さてどうやって覚えようか?」・・・。田舎には先生なんていない。途方に暮れた。そんな時、書店で高校生向けの月刊誌に「あなたも12か月でギターが弾ける」という広告を見つけた。「東京音楽アカデミー(指導するのは我が国のクラシックギターの第一人者小原安正先生)」1ヶ月600円を払うと、2枚の模範演奏(小原安正先生演奏)のレコードと楽譜が付いてくる。小遣いの大半をはたいて、早速申し込んだ。特典として、小原安正先生の30cmLPレコードと楽譜がついてきた。
その中に、その曲は入っていた。『我が道(レコードの曲目は「懐かしの我が道」となっていた)』。この曲が弾けるようになったのは、ギターを始めてから2年ほど経ってからだ。それ以来、私の最も大切なレパートリーになった。
若い時、田舎のギターマンドリンクラブに2年ほど所属していたことがあった。そのクラブでは年に何回か、老人ホームに慰問に行くことがあった。部員10人くらいで、老人ホームを訪れ、マンドリンとギターの合奏で、古賀メロディーやロシア民謡などを10曲程度弾く。お爺ちゃんやお祖母ちゃんがニコニコしながら拍手をしてくれ、帰りには「また来てね」と手を握ってくれる。そのぬくもりが忘れられなくて、私は、仕事をリタイヤしたら「ギターを抱えて老人ホームの慰問を行おう」。と思うようになった。
今年の春先、40年ぶりに、マンドリンを弾く友人から電話が来た。「○○さん(私ですね)、久しぶり、まだギターをやってるの」?「やってるよ」。「丁度良かった、近くの老人クラブに頼まれてね。慰問に行かなければならないんだ。一緒に行ってくれない?僕のマンドリンと○○さんのギターで二重奏を10曲ほど・・。○○さんのギターソロで何曲か。良いでしょう」・・・。
私は、喜びのあまり一瞬、眩暈がした。そして「想いがかなった」と心に中でつぶやいた。
既に、友人とは10回ほど、公民館を借りて練習している。私が弾くギターソロも「ここに幸あり」と決まっている・・・・。しかし・・・。
『今日、弾かせていただく曲は、予定を変更して「我が道」という曲を弾かせてもらいます。私の長年温めてきた、大好きな曲です。この曲は、ブラジルの童謡をギターの変奏曲にアレンジしたものです。「我が道」人生を乗り越えて来られた諸先輩の方々にこそ聴いて頂きたい曲です。拙い演奏ですが是非お聴きください』とやってしまおうと密かにたくらんでいるのですが・・・。(笑い)
トップゼミナールのホームページはこちらから
