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その報は突然だった。
「ごめん、急で申し訳ないけれど、母が亡くなったので行けなくなりました」
連絡を寄越してきたのは、20年来の友人だった。
最近は忙しいのか、とんとご無沙汰で、なかなか会えてなかったその子から、「久しぶり」とLINEがきたのは数週間前のことだった。
「今度ご飯でも食べよう」
と言うので、メンバーを募り、その子が幹事となってお店を予約してくれていた。
楽しみだね、なんて言い合いながら。
お母様が亡くなられたのは、食事会まであと2日に迫った平日の朝のことだった。
いつもと同じ朝をいつもと同じように慌ただしく動き回っていたところに、逝去を知らせるLINE。
それを読んだ瞬間、急に日常の光景が貴重なものに見え、息をするのも忘れて、スマホの画面に釘付けになった。
心よりお悔やみ申し上げます
この一言を絞り出すのが精一杯だった。
病に倒れていたことは、つゆほどにも知らなかった。
友人は、しきりに食事会のことを謝っていたけれど、今はそんなことはどうでもよくて、後はこちらで何とでもするから自分のことに集中しなさい、と皆で激励すると、ちょっと安心したようだった。
彼女とは、まだ、あどけない10代の入り口で出会った。
趣味嗜好、思想信条、学問から恋愛まで何でも語り合ってきた。
双子の片割れかというぐらい思考が似ていて、訪れる運不運も体調不良のタイミングもびっくりするぐらい同じで、何を言わなくても伝わるような、不思議な間柄だった。
就職してからはやや疎遠にはなってしまったけれど、それでも年に数回は会い、お互いの近況を報告しあっていた。
ところが、最近は定期的に開かれる仲間の集まりにも顔を出さなくなり、忙しいのかとほとんど連絡も取らなくなった。
そんな彼女が急に食事会の提案をしてきたので、指定された日は出勤だったけど、仕事の合間に顔を出すから、と強引に行く約束をしていたのだった。
何が何でも会いたかった。
会わずにはいられない何かが、私の中にあった。
もしかしたら、彼女もそうだったのかもしれない。
でも、約束した日を待たず、お母様は逝かれてしまった。
忙しいところ申し訳ない気持ちになりながらも、御葬儀の日取りを聞き、友人代表として参列した。
本当は、数日前に会えていたはずの彼女。
思っていたのとは全く違う形で、1週間前には想像だにしていなかった場所で、ようやく再開を果たせた彼女の顔は、憔悴しきっていた。
目の下のクマ。
落ち窪んだ目。
削げた頰。
亡くなられたお母様は、社会的にとても立派な立場にいらっしゃったので、弔問客はひっきりなしだった。
会場は、まるで遊園地のアトラクション待ちのように焼香の列が作られ、並んでいる人たちは悲痛な面持ちというよりも、どこか同窓会然とした明るい雰囲気があった。
悲しみの色よりも、属してたコミュニティの人たちとの久しぶりの再会に喜んでいる弔問客たちは、顔も知らない親族席に向けて形式的に頭を下げていく。
弔問客にとっては、ただの「親族席にいるお嬢さん」。
でも、私にとっては大切な友人。
母を亡くして悲痛に暮れている、大切な大切な友人。
焼香を待つ弔問客の視線が流れるように親族席から遺影に向けられるのが、たまらず堪えた。
そんな形式的に下げられた頭にも、丁寧な会釈で返していた友人は、私たちの顔を見た瞬間、にわかに表情を崩した。
ついさっきまでは、ソツのない妙齢の女性でしかなかった友人が、一瞬のうちに打ち捨てられた子犬ような目をしてる……。
「あの子、ギリギリな顔してる。どうしていいかわからないんだよ」
一緒に参列した友人が、そっと目の端をぬぐって、口元を押さえた。
うん、わかる。全部わかる。
涙が一気に溢れてきて、止まらなかった。
帰り道に立ち寄った喫茶店で、友人たちとしみじみ会話する。
話題は、私たちと彼女の母親のこと。
彼女のお母様は、とても厳しい方だった。
母娘の確執があることは、傍目からよく見えていた。
私たちの母親は、戦後の高度経済成長期やオイルショック、バブル景気を経験した、日本の家庭史の中でも特異な専業主婦世代。
教職員や看護師など一部の専門職を除けば、産後に働き続けることが許されず、
家事と子育てにしかアイデンティティーを見出すことができなかったのだろう
と言いたくなるぐらい、子育てが自分の評価とばかりに娘を厳しく躾け、家事が自分の成果とばかりに忙しく立ち回っていた。
たとえ職業人であったとしても、それを言い訳に家庭を疎かにするようなことはなかった。
母からは大変、しんどい、辛いというメッセージばかりが発せられ、生活が楽しいなどとは微塵も見えなかった。
母親は不幸だ。
母親というものは、幸せではないのだ。
子ども心に、そう感じていた。
それを「私は愛されていないのではないか」と勘違いする時期もあったね、と、皆でしみじみ語り合った。
私たちは、葬儀に参列するために、自分の子どもを母親に預けていた。
何だかんだありながら、いつでも、何かあったときにまず頼るのは母なのだ。
そして、いの一番で駆けつけてくれるのも母なのだ。
四十九日が終わって落ち着いたら、友人を囲んで話そうね、と約束して、私たちは母の待つそれぞれの家に帰っていった。
突然の不幸にも駆けつけられる近さ、すぐに友人たちと会える気楽さ、何かあったら母に頼れる安心さ……。
当たり前だと思っていたけれど、それは決して当たり前なことではない。
30代の私たちに母親の死は遠い世界の話だけれども、確実にその時はやってくるのだ、ということをまざまざと感じた。
後悔しないよう、今を「有り難い」と思って過ごしたい。