生石神社(おうしこじんじゃ)
兵庫 高砂
ご祭神
大穴牟遅命(おおあなむちのみこと)
少毘古那命(すくなひこなのみこと)
創建 崇神天皇御世
JR神戸線 宝殿駅下車
バスも出ていますがかなり本数は少ない
徒歩25分ほど…真っ直ぐなのでわかりやすいです
鳥居から見る階段は昔のままの石段で
かなり幅も狭く急です
これを登りましたがひっくり返りそうで
かなり怖かった…
回る道もあるのでこれは登らなくても大丈夫^^
石の宝殿と呼ばれる御神体は
高さ5.2m、重さ約500tの巨大直方体
背面に三角の突起もある人口造形物
かなり高度な技術に驚きます
浮石
この巨石は下の部分を削られており
切り離す直前の状態でそのまま残っている状態
のようです
何に使おうとしたのか興味深い…
聖徳太子の時代に造られてから1300年
霊亀元年(715年)前後に成立したといわれる播磨国風土記の一節に、「作石(つくりいし)あり、形は屋(や)のごとし。長さ二丈、広さ一丈五尺、高さもかくの如し、名号を大石(おおいし)という」という記述があり、聖徳太子の時代に、物部守屋によって造られた石と書いてあるそうです。確かに大きさもほぼ同じで、構造に「屋形」があり、その記述内容はまさにこの「石の宝殿」のことだと言われています。なんと8世紀前半から1,300年もの間、ここに在り続けているのですね。
ニホンタビ マガジンより伐採
貞和4年(1348)に書かれた「峰相記(みねあいき)」陰陽二神を祀る神社として生石神社の事が書かれています
「生石神社略記」には、大穴牟遅(おおあなむち)、少毘古那(すくなひこな)の二神が、天津神の命を受けてこの地に「石の宮殿」を造営し始めたが、阿賀の神の反乱を受け、その鎮圧に時間を費やして夜明けになったため、この宮殿を正面に起こすことが出来なくなったとあります。そして未完のまま、二神はこの石に籠もって永劫に国土を鎮めんと言明された。それ以来、この宮殿は石之宝殿、鎮の石室(しずのいわや)と言われていると伝わっています。
この生石神社は12世紀には成立していたと推測され、神社の「御参詣記録之事」には宝暦2年(1752)から安政6年(1859)の間に、140名もの西国大名が参詣し、シーボルトも石の宝殿のスケッチを著書「日本」に残すなど、18種以上の絵図類が書かれ、江戸時代に広く信仰の対象となっていました。
ニホンタビ マガジンより抜粋
横に回ると上に上がる階段があり登れます
上からみる石の宝殿は
また迫力があります
さらにどんどん岩場を登っていくと頂上まで
上がれます
四方八方と見渡せる広い踊り場のような岩場は
これは宇宙と交信した場所や〜
と思ってしまうように空と近い…
風が強くて吹き飛ばされそうでしたが
本当に気持ちの良い場でした
大正天皇も来られたようで石碑が
立っていました
沢山の末社も並んでいました
この霊岩は思い切り押す事で
凄い力が捧げてもらえるとか…
石の宝殿の分岩のようです
岩からパワーもらいました❣️
宝殿にまつわる話は沢山あるようで
立っている位置も興味深いです
石の宝殿の111度には
橿原神宮(新武天皇)がある畝傍山があり
その180度反対側には島根の出雲大社が見事に配置されています。
南には淡路島の勾玉山(イザナギノミコトとイザナミノミコトが最初に日本人列島を創造したと言われる国生みの地)が直線上に配置されています。
これまで石の宝殿は
日本三大奇といわれていました
でも完全に卑弥呼やモーセ、キリストを祀っているポイントや古代日本を代表する神社仏閣をこの石の宝殿からわかるように設計されていたともいわれています
石の宝殿も凄かったけれど
あの岩盤を登って上がった場所の凄さは
言葉で言い表せない…
全てをリセットさせてくれる…
そんな場所だと感じました












