オーストラリア旅行記ゴールドコースト秋 | ともみと髭マンとガガ

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1、そうだ 海を渡ろう

 怠惰な日々のなかにも、それなりの楽しみや喜びがあった。

 しかしいつの頃からか、なにかを始めようとすればいらぬ心配事ばかり浮かぶようになり。

 ワクワクするというような冒険心もすっかり型にはまってしまった。

 気も腰も重く、よっこらしょとケツをあげるまでの所要時間といったら月単位、いや、へたをすれば年単位である。

 そのくせ飽き性でただひとつのことをやり抜くというような根気も持ち合わせておらず、いいひとに寄り添い生きようとすればみな逃げていった。

 ああ、なんともくだらない。

 のこる頼りはこつこつと積み立てた小銭のみであろうか。

 そんな折ふと思いつく。

 そうだ、海を渡ろう。




 ネットで調べれば、その国へゆくには査証とやらが必要らしい。

 ひとくちに査証といえども色々と種類があるようだ。

 そのなかから私が選んだもの。

 それが、ワーキングホリデービザである。

 なぜならば、その査証を申請できるのは31歳の誕生日の前日までとあり、あと数ヶ月でその歳を迎えようとしていた私には運命的であった。

 思い立ったは吉日とさっそくオンライン申請なるものに挑戦。

 英語サイトからの申請は右も左もアルファベットがならんでおり、和英辞典を片手にとちゅう何度も諦めかけたがどうにか自力で申請することに成功した。

 ワーホリに関する情報を入手し熟読すれば、査証取得したのち一年以内に入国しなければならないという。

 そして入国日からかぞえて12カ月間滞在できるとある。

 4ヶ月以内の就学と、同一雇用主のもとで6ヶ月以内の就労が認められているが、主な目的は観光でなくてはならないらしい。

 こんな素敵な査証があることさえ知らずにいままで生きてきた、海外に対する無知、無関心。

 なんてことだ、もっと早く知っていれば・・・いや、おそらく結果は一緒だったろう。

 査証が無事に発行されたという通知は一週間もたたぬうちにEメールで届けられたものの、雑事に追われるまま刻々と時はすぎゆき。

 鉛のような尻をあげ、ようやく渡豪に踏みきろうとするころには32歳がもう目の前だった。

 出発の二週間ほど前から準備を始めた。

 まずは、片道航空券を購入。

 向こうで使用する携帯電話のレンタル契約もすませた。

 あとは現地で安宿を見つけ、しばらくそこに宿泊しながら住む場所を探せばいい。

 そう口走ると、私の海外旅行経験の浅さをよく知る母は苦言を呈した。


 ー あんたにそんな上級者みたいな真似ができるかいな!!ー


 私は、大丈夫なんとかなるってとその肩を何度か叩いたが、結局はそこまで心配してくれるならと留学サポート業者にホームステイ手配を依頼し準備万端ととのった。


いや、まてよ。

 銭はどうすればよいのだ。

 貯金すべてを懐に入れてゆくのはこわい。

 金銭の扱いに長けた母に相談すると、ありとあらゆる方法を調べあげてくれた。

 円を外貨にかえるときには必ず手数料が発生する。

 それが一番安くすむ方法を検討するも、さすがの母も情報が多すぎて計算しきれなかったという。

 結局、いろんな方法でお金を持ってゆくことにした。

 トラベラーズチェックのドル建てと円建て。

 現地のATMからも引き出せる銀行口座を開設。

 プリペイドタイプのトラベルマネーカードもつくり、財布に入れてゆく現金は少額にした。

 普段利用している銀行口座にわずかだがお金を残しておき、なにかの時のために母へ通帳を預けた。




 小さなトランクに必要最低限のものを詰めこみ、あっという間にその時はやってきた。

 旅立ちの日には、なぜか心躍るような期待感などまるでなかった。

 行かねば。

 査証申請代金、もったいない。

 でも生きて戻れますように。

 さまざまな不安を頭から叩き出し、無心で岡山空港を飛び立った。

 私はしかし確実に動き始めていたのである。

 やがて蘇る、ワクワクのために。


つづく


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