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​こんにちは。
やすよ(冨田恭代)です!
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もう動けないと思っているのに、

なぜか、きれいには手放せない。

 

もう考えたくないはずなのに、気づけばまた、

うまくいかなかった理由を考えている。

 

それは、決断できないからではありません。

 

本当はまだ、終わっていないからです。

 

何度挑戦しても、

思うような結果につながらなかった。

 

自分なりに考えて動いても、

なかなか伝わらなかった。

 

やり方を変えたり、学び直したり、

ときには自分の感覚まで疑いながら、

どうにか前へ進もうとしてきた。

 

それでも結果がついてこなければ、怖くなります。

 

もう一度動いて、

また何も変わらなかったらどうしよう。

 

今度こそと思った分だけ、

また傷ついてしまったらどうしよう。

 

次の一歩が重くなるのは、

覚悟が足りないからではありません。

 

これまでの一歩一歩に、

それだけの思いを込めてきたからです。

 

表面だけを見れば、

止まっているように見えるかもしれません。

 

けれど、本当に何も感じなくなった人は、

こんなに迷いません。

 

もっと簡単に離れられます。

 

もうどうでもいいと、別の方向へ進めます。

 

何度考えても戻ってくる。

 

離れたほうが楽だと分かっているのに、

離れきれない。

 

もう期待したくないと思いながら、

心のどこかでは、まだ何かを待っている。

 

そのスッキリしなさは、

往生際の悪さではありません。

 

諦めきれないほど、

大事にしているものがあるということです。

 

まだ届けたい人がいる。

 

まだ伝えきれていないことがある。

 

まだ、自分が信じてきたものを、

間違いだったことにはしたくない。

 

だから、前にも後ろにも

進めなくなるのだと思います。

 

前へ進めば、また思うような結果に

つながらないかもしれない。

 

勇気を出して差し出しても、

必要な人に見つけてもらえないかもしれない。

 

けれど、ここで終わりにしてしまえば、

これまで大切にしてきたものまで、

自分の手で捨てることになる気がする。

 

どちらを選んでも痛いから、動けなくなる。

 

それなのに外からは、

「迷っている」

「もっと行動すればいい」

「覚悟を決めたほうがいい」

と見えることがあります。

 

でも、その迷いは、

気持ちが弱い証拠ではありません。

 

まだ消えていないものがある証拠です。

 

もう信じたくないと思うのは、

信じることに疲れたからです。

 

もう期待したくないと思うのは、

期待するたびに傷ついてきたからです。

 

それでも完全には手放せないのは、

本当はまだ、信じているものが残っているからです。

 

その気持ちは、自信のようには見えません。

 

「絶対にうまくいく」と

言えるほど強くもありません。

 

むしろ、未練や執着や、

諦めの悪さのように見えることがあります。

 

けれど、本当に消えてしまった思いは、

こんなふうに何度も心を揺らしません。

 

別のことをしていても戻ってくる。

 

考えないようにしても、

どこかに引っかかっている。

 

終わらせようとすると、

心の奥で何かが止める。

 

それは、まだ答えが出ていないからではなく、

まだ終わりにしたくないからかもしれません。

 

だから今は、無理に

前を向かなくてもいいのだと思います。

 

もう一度頑張ろうと決めなくてもいい。

 

次の方法を探さなくてもいい。

 

自分を信じようとしなくてもいい。

 

信じられなくなった心には、

信じられなくなるまでの時間があったからです。

 

何度も期待して、何度も考えて、

そのたびに自分を立て直してきた。

 

一度つまずいただけではありません。

 

動けなくなるところまで、

何年も何度も動いてきたのです。

 

そこを飛ばして、

次の行動だけを求めなくていい。

 

まずは、

「こんなに悩んでいるのは、

まだ諦めていないからかもしれない」

と気づくだけで十分だと思います。

 

自分を信じるというのは、

「次はきっとうまくいく」

と確信することではありません。

 

結果が出る保証がなくても、

自分の中から消えなかったものを、

なかったことにしないことです。

 

思うような反応がなかったとしても、

伝えたことを必要としている人が

いないわけではありません。

 

まだ、その人に

見つけてもらえるところまで

進んでいなかっただけかもしれません。

 

結果がついてこなかったからといって、

大切にしてきた考えまで

間違っていたことにはならない。

 

うまく届かなかったからといって、

届けようとしたものまで否定しなくていい。

 

見つけてもらうまでには、

時間がかかることがあります。

 

言葉と必要な人が出会うまでに、

何度か届け方を変えなければならないこともあります。

 

それでも、まだ出会っていないことと、

誰にも必要とされないことは、同じではありません。

 

だから、すぐに

信じ直せなくても大丈夫です。

 

今はまだ、怖さのほうが大きくてもいい。

 

慎重になったのは、

弱くなったからではありません。

 

これ以上、自分を

雑に扱いたくなくなったからです。

 

本当は、やめたいわけではなかった。

 

もうどうでもよくなったわけでもなかった。

 

ただ、もう一度信じて、

また傷つくための力が残っていなかった。

 

そう考えると、

止まっている自分の見え方は、少し変わります。

 

諦めた人ではなく、

まだ大切にしているものがある人。

 

動けない人ではなく、もうこれ以上、

自分を置き去りにしたくない人。

 

自信を失った人ではなく、何度傷ついても、

完全には消えなかった思いを持っている人。

 

それは、立派な勇気には見えないかもしれません。

 

胸を張れるほどの自信でもないかもしれません。

 

けれど、何度終わらせようとしても

残っていたその気持ちは、

自分の中に残された、いちばんの信頼です。

 

今すぐ、それを強く信じなくてもいい。

 

次の一歩に変えなくてもいい。

 

ただ、

「まだ、ここにあったんだ」

と気づいておく。

 

自分を信じ直すことは、

大きな決意から始まるのではなく、

消えずに残っていた気持ちを、

今度は自分で見落とさないことから

始まるのだと思います。

 

 

 

 

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SNSの華やかな表面だけでは伝えきれない

「言葉の裏側」や、

私が日々クライアントの本質に潜り、

磨き上げている思考のプロセスや、

ちゃんとしていない私を曝け出している姿を

メルマガで赤裸々に綴っています。

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