掃除終えて、いそいそと三宮方面へ歩いて行きましたよ。

先ずは東遊園へ。

初めて神戸に来た時にさ、遊園って遊園地なのかな?って思ったんだけどね。

子供的発想だったね。(笑)

 

あの朝、今みたいに3時半起きじゃなかったんで、6時頃に起きて新聞読みながらテレビ見てたら映画のような画面になった。

え?何が起こった?

横浜は全く揺れなかったから、何にもわからなかった。

 

どこ?

関西?

 

同居人に、すぐ会社に行く、神戸支社の取扱い船に連絡入れなきゃいけないから。

当時は横浜関内にあった会社に向かった。弁当も持たず。

 

会社には続々とスタッフが集まってきた。

神戸支社の船には、全ての連絡は横浜本社宛てに入れるように指示して、神戸支社のスタッフたちに電話したけど繋がらない。

ともかく待つしかなかった。

 

夕方、拉致あかないので家に帰ってテレビをつけた。

朝は傾いてたビルが倒れてる画像を見た。

今でいう京町通だったんだろうか?それとも駅前の大通り、今の東遊園の前の道だったんだろうか。

こんなになってしまうんだ?練習船で神戸に入った岸壁もずたずたになってた。

炎の町も映ってた。長田の辺りだったんだろうか。

神戸商船大の前の高速も崩れて、あの落ちかかったバスが映ってた。

 

次の日、ともかく神戸に行こう。行ける処まで電車で行って、あとは原付バイクを買って。

一番若いスタッフが西に向かった。

新大阪まではなんてことなく新幹線で行けたらしい。

そこからが大変だった。

 

尼崎辺りでバイクを買おうとしたが、そもそも店があいてない。

なんとかかんとか海岸通りの神戸支社に着いたら、隣の立体式駐車場は崩れ落ちてた。

商船三井ビルの隣りにあった支社の入ったビル、1階がなくなってた。

 

3日目、神戸支社のスタッフ全員と何とか連絡が取れた。

神戸に向かったスタッフが戻って来てから話した。こっちからバイクで向かうしかない。

水、食料、船に行くときに使ってたドカジャン(厚手のナイロンジャンパー)、目いっぱいバイクに積んで、

自分もでっかいリュックを背負って、こぐが西に向かった。

同居人に、何かいわれた記憶はない。でも多分気を付けてっていわれたんだったと思う。

 

2日かけて神戸に着いた。

東灘に住んでるスタッフ、兵庫に住んでるスタッフ、それぞれの家を回った。

家、家だったところにいないスタッフもいたから、品を届けるのも大変だった。

 

こぐが横浜に戻ってから、別のスタッフが西に向かった。

交代交代で、バイクで西に向かった。最後はその原付バイクをスタッフの家に置いてきた。

後で聞いたけれど、すぐにダメになったらしい。酷使し過ぎたようだ。

 

大勢が無言で集まってる東遊園で、あの日のことを思い出してた。

人が行き交う三ノ宮で空を見ながら、あの日のことを思い出してた。