【英会話教室】 Bomb | ミツバチ生活への道~英会話・音楽ライブ・映画~

【英会話教室】 Bomb

火曜日の英会話の授業。

毎回 [今週のイディオム Idiom of the week ]を最初に習います。

ちなみに今週は in light of ~を考慮して(considering)


通常ですと、そのイディオムを使って、自分の経験談などをそれぞれがスピーチします。

そこで毎週、SMARTさんの海外面白話が登場するわけです。

そして、いつもK氏とご紹介している72歳の博識の紳士の話も、深い示唆に富む楽しい話題です。


ところで、最近ブログでご紹介する人たちの、ローマ字の頭文字制をやめにして、ニックネームで呼ばせてもらおうと思っています。

K氏は社交ダンスに凝っていて、たびたびその話が英会話でも出てくるので、今後はSOCIAL DANCINGさんとお呼びします。


実は、7月になってSMARTさんが夏休みに入ったので、レッスンはSOCIAL DANCINGさんと私の2人だけになっています。

そして、8月は英会話教室じたいが夏休み。

先生のベンは、東京へ遊びに行くと張り切っています。


さて、今週のレッスンはいつもと違い、ロンドンの爆弾テロがトークテーマになりました。

私も改めてテロについて考え、意見をのべました。

「暴力は暴力しか生まない。静かに熱心に語ることこそ、成果への近道」


SOCIAL DANCINGさんは、「とりあえず欧米、日本がイラクから軍隊を引き揚げ、資金援助のみを続けることが望ましい」との意見です。


ひとしきりの討論を終え、この問題はひとまず終了。

60分のレッスン時間も、残り15分となりました。

そこで、私がアメリカのPTAについて質問。

「日本のPTAと同じようなものが、アメリカにもありますか?」


すると、すかさずSOCIAL DANCINGさんが

「戦後、占領軍によってアメリカのPTA制度が持ち込まれたんですよ」

と教えてくれました。


戦前はPTAなどなく、今は月に1回ぐらいあっている授業参観なども、年に1度だったそうです。

そして、戦争の影響で1度も社会科見学や、修学旅行などを経験していないとか。

本来なら、神社などにでかけていたそうです。


それから、さっきの爆弾テロの話の影響もあり、話題は第二次世界大戦へ。

終戦当時、SOCIAL DANCINGさんは12歳の少年。

炭鉱の町、筑豊地区の直方に住んでいました。


長崎に落された原爆の雲が、直方からもはっきり見えたそうです。

先に落ちた広島の原爆を新聞で読んでいたので、人々は「いつもと違う爆弾」に怯えていました。

「新聞はいつも大本営発表で、[当方の被害は最小なり]としか書かないのに、広島に落ちた爆弾だけは、[被害がひどい]と書かれていたので、その被害のすさまじさを感じ取っていた」そうです。


それから、とても悲しい話も聞きました。

炭鉱では、沢山のオーストラリア人捕虜が働かされていたそうです。

劣悪な環境で、当然食事も足りない状態でした。

いつも、亡くなった捕虜を運ぶ棺が、火葬場へと運ばれていたそうです。


そして、収容所から炭鉱へ向かう道すがら、キャベツ畑を通りかかると、捕虜たちは監視の目を盗んで丸のままのキャベツにかじりつきます。

「当時の日本人には生野菜を食べる習慣がなかったので、生でキャベツを食べる姿はかなり奇異な印象だった」とSOCIAL DANCINGさんは語ります。

「今では、サラダで生野菜は当たり前。日本も変わりました」と感慨深げ。


悲しすぎる、ひど過ぎる話です。

聞きながら、オーストラリアで食べた、皿にあふれんばかりの新鮮な野菜サラダを思い出しました。

大好きなオーストラリア。人なつっこく、親日家の多いオーストラリア人たち。


人間はどこまでも、残酷になれます。

人としての感覚を狂わせてしまう、戦争。

私も戦時中に生まれていたら、キャベツをむさぼるオーストラリア人捕虜に、きっと冷たい視線を向けていたでしょう。


戦争が終ると、アメリカ軍が食料をパラシュート投下してまわったそうです。

でも、けして拾って食べてはいけないとお達しが出ていて、日本人は食べませんでした。

ベンが「では、その食料はどうなったのですか?」と質問します。


「それは、オーストラリア人捕虜達が手にしたんです」

その話を聞いて、戦争が終って本当に良かったと、心から思いました。

「例の『ギブ ミー チョコレート』で、小さな子供たちはチョコレートをねだっていましたが、私にはできませんでしたね」とSOCIAL DANCINGさん。

「えっ、誰にねだるんですか?」

「オーストラリア人捕虜にですよ」


「そうなんですか。私はてっきりあの『ギブ ミー チョコレート』は、アメリカの占領軍の専売特許だとばかり思っていました。でも、どうしてもらわなかったのですか?」

「12歳の私には、プライドがありましたからね。骨の髄まで、戦時l教育を受けていましたから」


今でも、SOCIAL DANCINGさんの世代は、戦前と戦後の価値観の相違に悩むことがあるそうです。

「ジャズだけは、どうしても好きになれません」

そう言うmSOCIAL DANCINGさんですが、アメリカの食べ物に妙に詳しかったりします。

ビーフジャーキーは嫌というほど食べて、もう2度と食べたくないそうです。

アメリカからの食糧支援が、多感な少年時代の飢えを満たす食べ物だったのです。


こうした戦争の話は、子供の頃から何度も聞かされてきました。

一緒に住んでいた祖父母や、学校の先生からも。

でも、感情に走りすぎた話しは、どこか冷めて聞いてしまいます。

しかし、今回のように英語で話されると、感情がセーブされ事実だけが淡々と語られる気がします。

私にとっては、久々の平和授業でした。