それなりの理由② | ミツバチ生活への道~英会話・音楽ライブ・映画~

それなりの理由②

昨日の続きです。

皆さんこの24時間で素敵なラブストーリーを、考えてくれましたか?

なに? 「大げさな前ふりに限って、後の話はたいしたことない」って?

あはは、その通りです。そのビジネスマンとは、ちょっと立ち話をしたというだけのことだったんです。

でも、その後の英語への取り組みが全く変わってきました。

ですから、私にとっては忘れられない出会いだったのです。


まずは、そもそもどうして北京へ行くことになったのか、ということからお話しましょう。

私が経済誌の編集をしていた話は、それなりの理由① で、言いましたね。しかし、編集とは名ばかりで、メインの仕事は雑用&誰も読まないようなページの担当だったのです。


ですから、私が急にいなくても少しも困らないという、寂しい存在でした。

雑誌にタイアップはつき物です。旅行社から、経済特区を視察するという企画が持ち込まれました。

編集長以下、仕事を抱えていて忙しく、「第一、飯がまずいらしいよ」と誰も関心を示しませんでした。


私が入社の時「アジアに興味があり、中国語も勉強しています」と言ったのを思い出してもらったのか、はたまた「中国語教室に月謝は払っているけれど、ちっとも行けやしない」と愚痴っていたのが利いたのか、私に話がまわってきました。


大連と北京に行きました。

実は、行ってみると行き違いがあり、経済特区の視察が出来ませんでした。

なかなか繋がらない電話を、やっと日本にかけ窮状を訴えると、「いいよ、いいよ。北京動物園のパンダでも見てきたら」という、気の抜けるような返事でした。これだから、期待されていないって・・・最高です!


フリータイムの多いオプションツアーで北京へ足をのばしました。

暗記してきた『旅行者のための中国語会話』のフレーズを、公園で人に話しかけては、会話の練習です。

でも、こちらの言うことはわかってもらえている気がするのですが、相手の言うことはさっぱりわかりません。


大連のホテルはフロントに日本語のわかるスタッフが常駐していたので、困ることはありませんでしたが、北京では、たまたまかもしれませんが、いませんでした。

バスルームの苦情を言おうと『困った時のプレーズ』 のページを開いて必死に説明しますが、らちがあかず、最後にお互いブロークンの英語で、なんとか意思が通じました。

中途半端に中国語を話すと疲れる、とすっかり懲りてしましたした。


一泊した次の日、ロビーに降りようとしてエレベーターに乗っていたら、そのビジネスマンに声をかけられました。中国語で、途中いくつか聞き取れた単語もあった気もしましたが、全くわかりません。

困っていると、「Can you speak English ?」 と聞かれました。「 A little 」

急に目隠しを外された感じです。


香港から大量に資本が流れ込み、中国政府の政策を後押ししていること。香港のテレビが放送されたりして、思っている以上に、資本主義の影響を受け始めていること。

いろいろ教えてくれました。


私が夕べ、ガイドさんと一緒にホテルのディスコ(当時はクラブなんて言ってませんでしたよ)に行ったら、中国人の若者もいて驚いたことを話しました。

すると「以前は海外からの観光客専用で、高すぎて一般の中国人は入れなかったが、自由市場で儲けたごく一部の金持ちの子弟が出入りしている」といっていました。

いつも新聞で読んだり、雑誌で眺めていることを、じかに聞けて大感激でした。


その後、お茶や食事に誘われるということは全くなく、彼は時計を見ると慌てたように、足早に立ち去りました。

考えてみれば、エレベーターに2人きりで気まずくなって「ご旅行ですか?」なんてことを、言っただけなのでしょう。それを私が理解できなかったので、中途半端になるのも変だと思って、英語に切り替えたのです。

すると、張り切っていろいろ質問されてしまった、というのが順当な解釈のようです。


それにしても、英語は便利! アジアでは英語が共通語として使われているというのは、知識としては知っていましたが、自分で体験してみて実感が沸きました。

頼りにならない中国語は置いといて、英語を頑張ろう!!と、北京の空にかたく誓うのでした!!!


ところで、この話には私の勘違いが大きく影響していたのです。

「頼りにならない中国語」・・・いえいえ、そうではありません。

私の習ったのは、北京語をもとにした共通語。香港からやって来た彼は、当然広東語。通じるはずもありませんね。もちろん当時も、そんなことは、十分知っていたはずです。


実は、一般教養の第二外国語も中国語でしたから、授業の初めの「中国語と一口に言っても、大きく4つにわかれ・・・」という、初歩の初歩を忘れていた訳ではありません。

でも、悲しいかな、勉強の為に見ていた映画はみな北京語のやつで、彼の広東語はただ、聞き取れないとしか、感じなかったのです。


香港映画をたっぷり見たお陰で、今では北京語と広東語の違いぐらいわかります。

そもそも、中国語教室の先生の口癖は「中国語がもし漢字という表意文字じゃなく、表音文字だったら、ヨーロッパみたいに別の言語になっていたはずだ」 でした。


それから、結婚して子供が生まれ、英語の勉強も思うようには時間が取れなくなりました。

下の子が幼稚園に入り、また、英会話教室に通い始めたのですが、まあ、気晴らしの趣味程度でした。


そして、小学校に入るのを機に、『経済学を勉強しよう』 と母校で経済学部の聴講生になり、一年間授業を受けました。テストも希望すれば、受けることが出来ましたが、所詮聴講生は、聴講生。「やはり大学院で勉強したい」と、とんでもない野望を抱いたのです。


今は社会人入試制度というのがあり、こちらは論文と英語が受験科目でした。

英文科出身の私が受験できるのかはさておき、とりあえず、英語の試験にそなえようと、その日から猛ダッシュしました。

そして、未だに試験準備中です(笑)

正直にいうと、受験しようとしていたことも、あまり思い出さない毎日です。

だって、楽しいことが他にも目白押し。例えば、このブログとか。