連載小説「線路へと散った黒い華」第七回(最終回) 作・薫葉豊輝(カオルハヒロキ)
「証拠はこれです」
そう言うと、J様はショルダー・バッグから私のノート・パソコンを取り出して、東刑事から送られてきた、ある画像をモニターへとUPさせた。それにしても起動が早い。おそらくバッグの外から指で操作。会話の最中にスイッチを入れておいたらしい。
「あっ」
山村香苗は、平山駅長の写真データを前に、大口を開けた。
「そう、この二枚は、駅長の制服の袖がめくれている映像と、元通りになっている映像です。おそらく遺体を動かしているうちに、めくれていた袖が元通りになったんでしょう。だから警察もその点を見落としかけていたのですが、これを撮影した若手刑事のおかげで、ですね。私は、この袖に映る画像が、女性の口紅の跡だと確信したのですよ。そう、それがスタートです。そこから、あなたの鉄壁のアリバイと、駅長殺害の論理を解くための道筋を探っていった。どうです、恐妻家の駅長。そして、あなた以外に愛人はいなかったという証言に基づき、このキス・マークは誰の物か。自ずと、あなたの物であることに、絞られてくるというわけです。もちろん、この口紅は鑑識を通し、科捜研でも調べられるでしょう。その時、誰がここで争い、指輪を奪い、駅長を転落死させたか、明らかになるのは時間の問題だと思われますよ」
J様の握るノート・パソコンに雪が一片落下してきた。二片、三片……次第に私のノート・パソコンは銀幕のように、夢の世界を映し出す鏡のように変貌していった。
空から再び落ちてきた雪……雪の世界で私は、目の前に崩れるようにしゃがみこんだ山村香苗の顔さえ、よく見えなくなってしまった。
その後で彼女の言った言葉は、余り口にして、語りたくはない。
何故なら、彼女も不幸な女性だった。そう私には感じ取れたから。
愛人として、平山駅長を本気で愛してしまい。何度も奥さんと別れてくれと頼んだが、恐妻家の彼は一度も首を縦に振らなかった。
一年前のクリスマスの翌日。同じ場所で、駅長の指にはめる結婚指輪を奪い、それをホームめがけて投げ捨ててやったと彼女は言った。しかし、奥さんを恐れるばかりに、のこのことその行方を追いかけていく駅長の後姿を見た時、彼女の心に殺意が芽生えたらしい。
私の愛を受け入れられないのなら、いっそのこと殺してやろうと……。きっと、魔が差したのだろう。昨日のクリスマスは家族サービスで、二人が会うのはいつもクリスマスの翌日。そこで気持ちが高まって、彼女は指輪を投げてしまったのだろう。
しかし、その瞬間。それまで愛であったものは、憎しみと化してしまった、まるで、コインの表と裏の向きが入れ替わるように、そう、まさに背中合わせの人間の感情は、反転してしまったのだ!
そして、その殺意を成就させる儀式は、一年後、同じ時、同じ場所(シチュエーション)で実現された。
だから彼女は指輪を奪ったうえ、雪玉まで投げるというデコレーションを、そこに加えたのかもしれない。一年前には転落はしなかった、駅長の息の根を止めるために。
二人で点した愛の炎を消すために。
そうやって、一度は愛しあった二人の男女が、憎しみを抱くことで起こしてしまった今夜の事件。
クリスマスって、何だろう。時間は巻き戻せないから、時間であるのだろうか。
人の住んでいる世界はゲームじゃないから、リセットは効かない。
私たちが一年後、もう一度やり直せるような世界の住人なら、憎しみも生まれず、愛さえも生まれなかったような気もする?
そういえば、昔私のファースト間接キッスを奪っていった少年と会った日も雪が降っていた。
雪の中にて突然現れ、食べかけの白い綿菓子を奪っていった白いコートの少年。
目の前にあるのは、綿菓子?
「九美さん。パソコンありがとう。これが役に立ちましたよ」
今、目の前に、あの時の少年とJ様が重なってみえる。もちろん、雪のせいだろう。
もしかしたらあの時の少年とは、やっぱりJ様だったのかもしれない。
あの時、奪っていった綿菓子を、白い雪の結晶によって美しく彩られていくノート・パソコンとなって、今私の元へと戻ってこようとしているのかもしれない?
これは奇跡だわ。きっと。今、失った物は戻らない。そう確信してしまっていた私。だけど、失った物は時を超えてこの手に戻ってくるのかもしれない。
山村香苗。彼女にだって、憎しみの解ける時も、きっと来たはず。
生きること。生きていくためには、愛憎混ざり合うことは避けては通れないもの。
だから、憎しみの方向へだけへ向かっていくのは、やっぱり間違っているんだ。
幸せになりたい。
じゃあ、どうすればいいのか。目の前の人を愛す以外にはないんじゃないだろうか?
それが、私の結論。
今年もクリスマスには、サンタクロースには会えなかったけれど、一番会いたい人と、クリスマスを超えて、出会えた前夜。
だから、今、私はすっごく思う。
この世も、まんざらじゃない!