連載小説「線路へと散った黒い華」第五回
マンションの玄関を潜り、外気の進入を遮断する造りの廊下へと靴先を踏み込む。
その時だった、忽然と廊下へと響いた自身の立てた靴音に、少しピクリとしてしまった自分がいた。真冬の、それも深夜に響く足音だ。気味が悪くないなんて、私の肝っ玉レベルでは、まだまだ言えない。もしも上司に「修行が足りんな」と、言われようとも。
「九美さん。監視カメラが設置されているようですね。カメラのことで、東さんから聞いていること、ありませんか」
「あります、ありますわ、J様。実は津山署の捜査員がここへ訪れた際、監視カメラのチェックもしてもらうよう、管理人に頼んだそうなんですよ」
「ほぉ、それで」
「しかしですね、労多くして益少なし。彼女には、前日の午後九時から今の今まで、部屋を出入りした様子は皆無のようなんです」
「皆無ですか」
「ええ、皆無です」
「……わかりました。だけど九美さん、部屋はこの一階107号室。彼女の部屋が一階にあることで、その枷であり、壁も少しは緩んでくれている。そう私は読んでいるので、さぁ、それでは舞台の主役の部屋を訪ねることにいたしましょうか」
「は、はい、J様」
ちょうど山村香苗の部屋の前へと立ったJ様は、長い人差し指をチャイムへと伸ばす。
「どなたです」
十秒ほど経過した頃だろうか、ドアの向こうから、鼻にかかった色気ある声が響いた。
「鳥取県警の者です」
そう告げた私の声を聞いた後、三拍子。ドアを開けた茶髪パーマの女性は、その二重瞼を上下させながら、私たちを見た。
「また、刑事さんですか……これで二度目ですよ、まだ何か」
不満そうな表情をする山村香苗は、腕を組みながらそう言った。
「お忙しいところ、申し訳ありませんが、もう一度、お話を聞かせていただきたいと思いまして。その後、新事実も出てきましたし」
「新事実?」
紳士なJ様しゃべり方の前に、山村香苗の表情が一瞬だけ変わった。
しばらく考えるような顔をした後「どうぞ」と、ドアを全開にしてくれる。
玄関に入り、遠慮なくお邪魔させていただく私たち。
彼女と共に廊下を歩き、応接間へと入室。中央に置かれたテーブル前の座席へと、私たちは腰を下ろした。
「で、新事実と言うのは、何なんです」
テーブルに投げてある様子の煙草ケースへと手を伸ばした山村香苗は、神経質そうな手振りで、煙草を取り出し、もう片手へと持ったライターの火を点ける。
「その前にですね。今一度、あなたの外出時刻を確認させていただきたいんですが、よろしいでしょうか」
「……いいわ。昨夜の午後九時に仕事から帰宅した後、ずっと部屋にいました。ですから、その後には外出など、いたしておりませんわ」
「信じてもよいのですね」
J様の瞳に光りが満ちている。
「私は、嘘は申しません」
「わかりました。ですが、お気を悪くなされぬように、これも捜査上、やむを得ぬ質問でありますから」
J様が一礼する。
「ところで、山村さんは、インコを飼われているようですが」
「ええ、寂しいやもめ暮らしですから」
色気ある長い睫毛に似合わず、その返答が古風だったので、そのギャップが耳の襞へ残る。
「インコの嘴(くちばし)と言うと、結構、硬質なものですよね。押したり引いたり、さらに何かを加えることもできる」
「あなた、何をおっしゃりたいの」
「山村香苗さん、あなた、この可愛い小鳥を、ご自身のアリバイ・トリックに利用されませんでしたか」
「なんですって」
山村香苗の表情が、一変する。顔の中心に蜘蛛を置いたように、顔中の皺は、蜘蛛の手脚の如く顔の四方へと向かって放射していく。
「J様。私にもわかりません。どういう意味なんです」
私は、大きく頭を傾げた。それに対してJ様は頷き、再度、山村香苗を見つめて、こう切り出す。
「ここの電気の点灯と消灯の間が、あなたが正面玄関から戻られた午後九時以降。およそ午後十一時半。およそ午前零時。およそ午前零時半。およそ午前一時の四回行なわれているところを、ご近所の方が目撃されているそうなんですが、その規則的な時間という点にまず私は疑問を抱きました。それに、そのご近所さんは、毎週決まった日に海外の旦那さんと空を見ながら国際電話をしているそうですし。あなたは、その時間帯を逆に利用したのではないかと」
「冗談、言わないでよ」
「冗談かどうかは、あなた自身が一番わかってらっしゃるのではないですか」
「何ですって」
「話を進めさせてもらいますが、あなたがその時刻を選ぶのがワン・アイテム。そして、その部屋の隅の鳥かごにいるインコを利用したのが、ツー・アイテム。それをベースに、アリバイ方法を料理したのではないかと。その証拠に、時間の規則性と言う問題が挙げられます。電灯の切り替えはきっちり、三十分置き。この三十分という単位は、何か機械的とも思われるのです。あるいは、教育」
「教育?」
私は、輪唱する。