連載小説「線路へと散った黒い華」第三回 | BLOG MYSTERY NOVELS

連載小説「線路へと散った黒い華」第三回



 東刑事から聞いた、平田駅長の愛人の住所を頼りに、愛車アクセラへと乗り込んだ私とJ様は、いざ、愛人宅を目指してアクセルを踏み込むことにした。
「J様。さっきは一体、何を見つけられたんです」
 ハンドルを握りながら私は、物憂げな表情を浮かべるJ様の瞳を覗きこむ。
 J様の唇が耳に近付き、その息がかかりそうなぐらいの位置に達した時、十数文字の言葉が鼓膜へと流れる。
「えっ、袖裏にキス・マークがあったですって?」
「そうなんですが。ですけどね、九美さん。それが事件と直接関わっているかどうかは、まだ判断しかねますよ」
「確かに。だけど、不自然だわ。一体、誰の……まさか」
「九美さん、勇み足はいけませんよ。ですが、それを確かめるために、今、キスの上手い女性候補者宅へ向かっているんですし、途中で事故など起こすことなく、気を付けて運転の方をお願いします」
「す、すみません。私、少しスピード出しすぎていました」
 J様へとお辞儀する。そう、私のいつもの悪い癖が出ていたようだ。
「ところで九美さん。この写真は」
 J様は、ルームミラー裏に挟んでいる一枚の写真を指差した。
「あっ、それは、学生時代に韓国で写した記念写真です。その頃ですよ、J様とも出会ったのは」
「やっぱり。どこかで見た風景だと思いましたが。ですが九美さん、日本人のあなたが、それほどまでに我が祖国のことを気に入っていただいているとは、光栄ですよ、私は」
「いえいえ。留学時代は、本当にいい思い出ばかりなんです。だから韓国は、私の第二の故郷なんですよ、それに、J様ともお会いできましたし」
「九美さん。嬉しいです、私は。幼い頃から日本人というと、鬼のような人種だと祖父母から聞いて育っていただけに……私こそ、よい人に出会えました。コマッスムニダ。いえ、日本語で言いましょう。ありがとう!」
「私の方こそ」
 留学時代に仲間達と写した一枚の写真を前に、私の時間も逆流していくような気がしてきた。ちょうど、カー・ラジオから韓国の歌姫の唄うラブ・ソングが流れてくる。
 もう止んではいるが、一面銀世界の続く深夜へと響く甘いラブ・ソング。
 あとは、今と言う時が勤務時間でさえなかったら……。
「九美さん、車線、車線をはみ出しそうですよ」
「ああっ」
 J様の声に反射するように、両手で握るハンドルを切る。
 ああ、私ったらほんとに、おっちょこちょい。ごめんなさい、J様。これからはもっと運転テクニック上げていかなきゃあ。そうでないと、みんな、私の助手席に乗りたがらなくなるからね。そう、今でさえ私の助手席は「魔の助手席」と呼ばれかけているんだから……。

 平田駅長の愛人山村香苗のマンションは、車で約一時間かかる岡山県津山市の繁華街にあった。繁華街とはいっても、さすがに田舎。商店街の数もビルの数も決して多いとは言えない。
 愛人のマンション付近の駐車場へと車を停め、私たちは目的地へと向かう。
 ちょうど車を降りる前だった。東刑事から無線が入り、愛人のアリバイ証人が現れたと言うのだ。
「九美さん、それは本当ですか」
 無線を置いた私の頬に、J様の息がかかる。
「ええ。何でも、お近くにお住まいの主婦が、その部屋の電気が切り替わるところを四度ほど目撃されたそうなんです。カーテンが厚いせいか、その内側までは透けてはいないそうなんですが、証言によると、少し開いていたカーテンの合わせ目から漏れる灯りを見たそうです。まず午後十一時半頃に消えていた電気が点灯し、午前零時頃に再度電気が消え、そして再び午前零時半頃には電気が点き、最後に午前一時頃に電気が消えたそうなんです。ただ、消す際の彼女の姿までは、位置的な問題があったのか、目撃はされていないようですが、切り替えが行なわれたのは確かなようです」
「何故、四度も目撃できたのでしょうね。数が数だけに、偶然にしては高い気がするのですが」
「何でもその方は週三度、深夜十一時から午前一時まで、海外に単身赴任中のご主人と、空を見上げながら長電話をする習慣があるらしく、今夜もその約束の日だったそうです」
「なるほど。それならば、目の前のマンションの部屋の明かりに気付かれることは充分に考えられる」
「同感です。それと、その愛人ですが、彼女はマンションに一人暮らしで、他人の出入りは駅長以外になかったそうですから、もしこの証言が確かなものでしたら、ここから片道一時間かかる「秋華駅まで行って戻ることは不可能ですよね」
「確かに……しかし、電灯は、三十分置きに点いたり消えたりしているようですね。でも、何故、三十分なんでしょうね……」
「三十分には、さほど意味がないと思われますが、その前に、それだけアリバイが完璧なら、例え終電を利用しようと、いえ、他の交通手段を利用しようとも、ちょっと往復は不可能そうですね」
「…………」
 J様の表情に暗雲が漂う。