未だ自分のハンドルネームに「くん」付けする人の気が知れず。さっちゃんのサチコがまだ小さいから自分のことを「ちゃん」と付けて呼ぶんだよ。おかしいな。という童謡は誰でも知っているはず。あれは単なる教育だけではない。おかしいな。と警鐘を鳴らしている。ましてや既婚の、いい歳こいたオッサンが自分のことを「くん」付けで呼ぶ。今時の若者より、むしろ今時の中高年の方が変。プライドが高いとか、そういう精神的な問題はあるんだろうけど、よく恥ずかしくないな。本題は十二所だけどバスで行く必要がある。これは「じゅうにそう」と読む。嫁が私の歩いたコースに興味があるらしい。光触寺に着くなり嫁が気持ち悪いと言い出した。ホラ見ろ。だいたい時宗の寺の見どころは一遍上人の銅像しかない。あとはひたすら金沢街道を歩くぐらいだな。
次は五大堂明王院。真言宗泉涌寺派の寺院だ。着くなり志納だから拝む以外、特にお布施は要らない。心持ちなんだよ。だからこそ面白くない。庭園らしさがないと嫁が言う。真言宗なんだから庭園なんて、あるわけないでしょ。例えば浄光明寺や満福寺みたいに宝物を見せる以外、拝観料を払う必要はない。安く入れると言えば、そうなのかもしれないけど感想は、つまらないのみだ。
最後に報国寺。ここで口直しになる。嫁は喜んでいた。竹に囲まれて空気も澄んでいる。自然のモノに囲まれてこそ人間は正気を取り戻せる。京都みたく都市であっても自然のモノを必ず残す。それが正常というもの。養老孟司教授も今の人は正常ではないと言っていたように、とにかくマンションに引きこもっても脳の活性化にならない。実際にタワーマンションで育った子供の方が両親にお金があっても偏差値は低いという。すべてが脳とは言っていない。身体も脳なのである。だからこそ五感を研ぎ澄ませようという試みは必ず役に立つ時が来る。一緒にお茶を飲もうよ。どうせ他にはガイジンしか、いないでしょ。抹茶が美味しいだけではない。これも身体の一つ。味以外に何があるかは飲んでみないと分からない。本当は物事って教えるモノではない。教えなければいけないものを教え合わないで、むしろコチラが知っていることに対して「分からないだろ?」「これがオススメ」みたいに頓珍漢なことを言う人も少なくない。感覚こそ人それぞれだから教えるモノではない。体験してみて新たな発見があるに違いない。
【公式ウェブサイト】


















