養老孟司教授と茂木健一郎と東浩紀の講談社現代新書 | 北条得宗家の鎌倉めぐり

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鎌倉散策や鎌倉散歩の様子の他に養老孟司教授の著書を中心として紹介

 

考えたくなかったのは養老孟司教授だけではないと思う。政治の話はなるべくしない方がいい。とくに会社などにおいても上司が偉そうに「若い人は選挙に行かない」「政治のことはいっさい考えていない」と言うらしい。私の会社では、そういう話はタブーとされているというより本人たちに任されているという意味だから誰も話さない。では、そういう若い人を叩く人達が選挙に欠かさず行っているかというと、むしろ行っていない。若い人を叩く人ほど選挙に行かないのだ。若者叩きでストレス発散を繰り広げるオッサンといえば日本ぐらい。では、あなたの考えは?というと、きちんと理路整然に述べることは出来ない。なぜか戦後日本というのは変な土壌の上に立っている。自衛隊は戦力か否か。憲法9条は本当に守らなければならないのか。そこが議論される。

 

 

茂木健一郎は安倍晋三元首相が安保法案を強行採決した時、国会前に行って忌野清志郎の歌を歌ってきたという。長谷部恭男という憲法学の大家が安保法案は違憲と言い切った。加藤典洋が『敗戦後論』で書いたのはマッカーサーが英語の憲法原案を持ってきて15分以内に回答しろと言ってきた。平和主義を謳う日本国憲法が原爆という脅しによって成り立っていたのは事実。後付けで整合性が成り立っている。東浩紀は9条を改憲して自衛隊を戦力と認め武力行使を制限するという主張。誰でも分かるけど、だからすぐ改憲というのは時期尚早な気もする。そういう私のような古い考えは井上ひさしや梅原猛や大江健三郎といった知識人に護憲派が多い。アメリカでも実は「九条の会」があって、日本の護憲の歪みがそこにある。右翼も左翼も自分達の価値観を肯定出来ておらず、まさに外圧頼りで改憲派も護憲派も変わらない。こういうことは私的にも、あまり考えたくなかった問題の一つである。

 

 

教科書に墨を塗った世代、養老孟司教授と同い年はそれぞれ、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、それらの世代は歪みのままに戦後日本を抱えてきた。養老孟司教授が子供の時は本気で日本が負けるなどとは思っていない。なぜなら勝ってるキャンペーンを次々と実施してきたから。阿部謹也は養老孟司教授より二つ年上で「おばあちゃんが戦争に負けると言っていた」から、そういうインテリな家もあったという。そういえば私の知っている会社社長の父親が公務員で「勝てるわけない」とブツクサ言いながら毎日帰って来たという話をしていた。養老孟司教授の父親はその時すでに死んでいる。母親は政治にいっさい口出しをせず、むしろ医師会の役員もやらないタイプ。遺伝子は養老孟司教授に受け継がれた。終戦の日、負けたと聞いて騙されたというより膝がガクッと抜け落ちたという。だから政治や社会のことなど信じない方がいい。でも生きている間に世間と距離を置くことは相当に大変だ。

 

 

満州国がなくなって、ソヴィエト軍、国民党軍、中国共産党軍が来る。目の前で国が瓦解して支配者が変わるのを何度も見た連中が国を信用するか。敵味方が入り乱れ人もたくさん死んだ。そこからどうリハビリしていったのか。なくなることより、なくなったものをどう作り直すかに四苦八苦する。養老孟司教授は、日本をどうするというのも実は政治思想とか高級なことじゃなくて、食い物を確保することから始まる具体的な日常が作っていく気がするという。今日の飯に、どこから何を調達してくるか。それが万事の始まりで、いわゆる現実主義者なのだろう。以前も「投票用紙に名前を書けば明日から晴れるか?」などと言っていたな。

 

 

日本は明治維新と敗戦で二度、これまでの自分たちのやり方を変えなくては生きていかれない経験をしていて、そのストレスや歪みが我々にはあるが、それをきちんと言語化することができたら、それは同様のことが起きている世界にとって有益な知見になるから、日本近代の歪みの問題は、日本の固有の問題であると同時に普遍性もあるテーマなのかもしれない。日本の歪みの本質を考え抜けば、それは、きっと世界のさまざまな方々が生きる上での糧になる。ただ、その時にいちばん困るのが立ち位置。そういうことを考えるときのベースが、文化を潰されるほうにあるのか、潰すほうにあるのか、どちらでもないのか。普遍的な土台を見つけられるのか。日本の知識人は、外に先端事例があると考えて、それをいかに輸入してくるかという立ち位置か、もしくは外国からの影響は極力排除すべしという人かに分かれてしまって、ちょうどいい立ち位置にいる人が少ない。つまりは真ん中がいない。

 

 

この国で生きていくのには目立たないことしかないんだと分かって来るようになる。変わっていて目立っている人を潰すという圧力がとにかくすごい。そういう日本の特性というのは、こんなに狭いところに人が大勢いることが原因。こんなに人口密度が高い世界は他にない。上海や北京を見るとやたら人がいるけど、中国なんて脱税で捕まりそうになったらどこかに逃げてしまえる。でも日本は狭いうえに逃げ場がない。高密度の人間社会ではルールがすごく強くなる。40代までは風当たりが強い。茂木健一郎もそういう経験をしたという。50代からはラクになった。東浩紀は大学を離れたりテレビに出なくなったりしたことでラクになった。

 

 

日本社会に「あいつはしょうがねえ枠」があった。江戸時代に「寛政の三奇人」というのがいて、ぞれぞれ林子平、高山彦九郎、蒲生君平の三人。林子平は海防の重要性を説いて『海国兵談』を書き、蒲生君平は天皇陵の荒廃を嘆いて『山陵志』を編纂した人だ。高山彦九郎は勤王を唱え、江戸時代後期に御所に向かって望拝して、お咎めなしだった人。御所に向かって伏し拝んでいる像が京都の三条大橋にある。日本には昔から「あいつはしょうがねえ」で受け流してくれる素地があって奇人はラクに生きられる。

 

 

南方熊楠がキャラメルの箱に入れた標本を昭和天皇に献上した。大正天皇も変わった人だったという逸話は残って、それは奇人だから許されたんじゃなくて天皇だから許された。遠眼鏡事件とか、どのくらい本当なんだろう。帝国議会で大正天皇が勅書をくるくる丸めて遠眼鏡みたいにして議会席を見渡した。また大正天皇は歌が上手だったらしい。プロに言わせると明治天皇よりいい。

 

 

茂木健一郎はどちらかといえばリベラルだと思っていたのだが、この数年で社会との関係性の受け止め方がすごく変わった。安保法案の頃は護憲とか改憲とかについてリアリティがあったのが、今はほぼなくなったという。このような経験から右でも左でもなくインテリジェンスという言い方をするようになった。ここで言うインテリジェンスは知性という意味でもあるし、情報を収集して判断するいわゆる諜報という意味もある。東浩紀も、ここ二十年から三十年の日本の空気の変化には戸惑いを隠せない。天皇制にしても、平成期は日本人の天皇に対する感覚が大きく変わった時期で、多くの人が天皇や皇室に親近感を持つようになった。東浩紀が高校生だった時は天皇制反対と言って憚らない左翼系知識人はたくさんいた。今現在、誰もそんなこと言わないのは事実であるが、少なくとも古い考えの私は皇室に関して無関心を貫いている。むしろ安倍政権期に入ってからは、天皇のほうが政権よりも「リベラル」で、左派は天皇に頼るべきという言説すら出てきた。内田樹なんかは「天皇主義者」と自身を評しているようだ。

 

 

加えて昔は右派といえば保守でナショナリズムを大切にし、左派のほうがグローバリズムだったのが、今は右派こそ新自由主義でグローバリズムを謳い、左派のほうが国民国家の利害を大切にしろと訴えるようになっている。そういう歪みもある。日本人の天皇に対する態度も変化してきた。養老孟司教授が子供の時、天皇は神だと教えられてきた。神から人になった変化が大きすぎて、それ以外の変化は小さく思えるという。上皇はさぞかし大変だっただろう。日本の戦後の歪みを引き受けて、頭の中にどうやって収まりをつけたのだろうか。昭和天皇を見て思うところが多かったのだろう。リベラルなところは、美智子というカトリックに親しんだ人を后に迎えたところにも表れている。様々な歪みの象徴が平成天皇だった。平成が終わって歪みが正常化するかどうか。

 

 

令和になってすぐコロナが来て、コロナの空白がちょうどいい具合に働けばいいのだが、ウクライナ戦争が起きたり、防衛費倍増と言ったり、世相は明るくない。この日本の歪んだ暗闇に光を照らすのは、右とか左とかそういうイデオロギーではなく、インテリジェンスなのだろう。日本の「防衛力強化」に賛成する人が7割を超えている。そのさらに前にウクライナ戦争勃発直後、防衛費増額を55パーセントの人が賛成している。今現在はまた増税反対の流れで世論が変わりつつあるようだが昨年には半数以上の人が、防衛費は1パーセントから2パーセントにに増やして構わないと考えていたことになる。日本で防衛費を増額するという時に問題なのは、それがともすれば技術を開発するためのお金ではなく、アメリカの武器の買い手にしかなりえないところなのだろう。

 

 

東浩紀は自衛隊は合憲化するべきだし、学術会議も軍事研究を認めるしかないと思っている。しかし日本のリベラルは絶対に認めない。ギャップが埋まるまでの道のりは長い。そこで頑張る人は多い。そういう人は上の世代に偏っていて、いずれ世代交代するものだと思ったらしいが、しかし、どうやら再生産されている。かつては視野が広かった人が、年齢が上がるにつれ頑固な左翼になっていくのを見るにつけ、これは「世代」の問題よりむしろ「年齢」の問題なのかもしれないと思えてくる。高齢者ほど左翼。

 

 

安倍晋三元首相の国葬の日、東浩紀は九段下に一般向けの献花に訪れる人を見に行った。献花台は靖国通りの武道館側の歩道に設けられていて、いちおう葬儀会場である日本武道館のほうに向いてはいたものの、かなり遠い。安倍の写真はあるものの、そもそも一日限りの金属の仮組みでしかない。そこに花を手向けることでは心は満たされないのだろう。人々がその後どうしたかと言えば、かなりの人が道路を渡って向かい側にある靖国神社に行っていたのが印象的だった。安倍の死を悼みに来た人が靖国神社に参拝する。それが意味するのは、実質的に安倍は靖国神社に祀られてしまった。ちょうどその前にイギリスのエリザベス女王が亡くなり、ウェストミンスター寺院で葬儀が行われた。国家元首の葬儀が宗教性を帯びるのは当然のこと。しかし日本ではそれができない。なぜできないかといえば、要は敗戦したから。炎天下に喪服を着てわざわざ九段下まで来て献花に並ぶ人たちは、それなりの強い気持ちをもって追悼に来ている。そういう一般弔問客をどう遇するかも、本来は国が考えなければいけないこと。しかし実際にはありふれた巨大イベントへ誘導するかのように、無味乾燥な長蛇の列に並ばせただけだった。日本は死を悼む気持ちの受け皿すら作れないのだなと、その光景に日本の衰退を感じた。場当たり的な対応を繰り返し、なんとなくなんとかなっているように見えても、ベースのところで人心の荒廃が進んでいる。宗教の中立性によって何かが形骸化しているのは現代日本の姿そのもの。

 

 

夏に盆踊りが小学校の校庭で行われたりするが、あれも本当は神社とか森でやるべきもの。どういう理屈で校庭になったのか分からないのだが、神社でやると宗教行事で、校庭でやると自治体の無宗教行事になるのだろうか。いずれにせよ戦後のこの国は、もともともっていた人の心を安定させるリソースのようなものを、かなり使えなくしてしまっているように思います。それが効率の悪さを生んでいる。私からすれば、そういうことは誰でも分かるはずなんだけど、やっぱりダメなものはダメで終わってしまう。

 

 

ご存知、養老孟司教授は虫塚を作って六月四日の虫の日に供養している。人間のほうも最近「墓じまい」などお墓の問題が出ているが、その問題が出てきたのは家制度を壊したから。これは戦後社会にとって九条より大きな問題だと思われるという。家制度を壊したことで個人が露出した訳だが、前に東浩紀が言ったように元来、日本に「個人」はなかった。日本の民主主義は「家」の平等で、個人で成り立つものではなかった。それが「家」という制度が消えて、急に「個人」になったことで墓も先祖も繫がらなくなった。そうすると日常生活の時間的な存続を、どこに落ち着かせていいのかわからなくなる。そういうことも考えて、虫塚を作ったのだという。虫を供養するだけじゃなくて、虫が好きな人が死んだら、名札でも入れて一緒に供養したらどうかと。マンガが好きな人は手塚神社を作るとか、そういうものを作っていかなきゃいけない時代になった。家制度がもっていた時間的な継続性が消えてしまって、仏壇も神棚もないマンション暮らしでは、「いま」だけになるのは当然。ぶっちゃけ、どこでも良いと言うなら私なんて、報国寺に入れてくれないかと思っている。あの竹に覆われた風景は非常に安心する。我が家も臨済宗だから構わない。

 

 

新興宗教の犯罪性が問題になるとすぐに「宗教がダメだ」という論調になるのは、逆に宗教についての考えが貧しいことの表れであろう。日本では人の心を安定させるシステムがうまく機能していないので、「娯楽産業」という名のもとに変な商売が大量に作り出されている。誰も知らないアイドルに何百万円もつぎ込むのがよしとされているような文化は普通に考えて異様。そういった歪んだ部分が「クールジャパン」と呼ばれる面白い部分を作り出しているのも事実なのだろうけど長続きはしない。いわゆる自己肯定感が低いこととも共通の基盤がある。本当の意味で自分の個性を受け入れることができないから、表層的な文化で右往左往する。それが日本の魅力であると同時に、本質的な限界になっている。あくまで夢の世界はバーチャルでありリアル社会ではない。

 

 

養老孟司教授は宗教の問題が前から気になっていた。学生運動が落ち着いた後も学生たちはしょっちゅうケンカをしていて、だいたい全共闘、創価学会、統一教会(原理研究会)の三つのグループが対立する。どうしたもんかと当時、駒場にあった統一教会の寮に行ってみたことがあるという。信者の女性が食事の世話なんかをしていた。どういう人が集まっているのかと思って見てみると、公に相談ができにくい事情を持っている人たち。親がゲリラ組織にいるとか、ごく一般の学生とはうまく話ができないような複雑な背景をもった人たちが集まっていた。オウムの問題なんかもあって、ずっと「古い宗教が安心だ」と言ってきたけど、その割に僧侶がサボってやしないか。コンビニより寺の数が多いと言われるのにぜんぜん機能しているように見えない。まったくだ。

 

 

そもそも「人の悩みを聞く人」が少ないという問題。人が人に真面目に悩みを話す、それを聞く、というまともなコミュニケーションの場があまりに少なく、表面的な社交ばかりしている。八百万の神はいい部分も多いけど、神の敷居が低いということでもあって、いろんなことが「神化」しやすいという問題もある。例えば「ひろゆき」を神化してしまうような脆弱なメンタリティは何なんだろう。ひろゆき本人はむしろ謙虚だし、自分の限界もわかっている。もちろん卓越している点もある訳だけど、彼ら自身はむしろ強いと思っているのだろう。ひろゆきと同一化することで心の穴が満たされ、現実の悩みをやり過ごすことができる。それは若さゆえの強がりであったことに後で気付くこととなる。日本では悩み相談みたいなものもコンビニ化していて、ちょっと寂しいときに時間を潰せる「元気をくれるサプリメント」みたいなコンテンツがたくさんある。東浩紀は自身でさえ、かつてポストモダン社会ではそういうものが機能するはずだと考えていたこともあるらしいが、現実はそうではなかった。そう、こういうインターネットの人を神格化しても何も変わらない。私はハナから信じていない。どうもブログ教というのも存在するようだ。そいつが何をやったかってのは何一つ示されていない。では泣きながら報国寺あたりに駆け込めば良いのか?とも思えてしまうんだけど。

 

 

新憲法が天皇の地位を「日本国民統合の象徴である」と定め神から人になった天皇は、今度は象徴になったのである。国民にとっても「象徴天皇」がどういうものかよく分からないが、天皇の側も相当大変だった。現在の上皇が退位を希望した時、次のように述べたのは、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を日々模索しつつ過ごして来たということ。養老孟司教授にとっては偉さが違っていて、昭和天皇は神、平成上皇は知り合い、今上天皇は孫、などといったところ。昭和天皇はヒドロゾアを、上皇はハゼを研究し、専門的な業績を残している。なぜ天皇は生物学を学ぶのか。ロンドンの自然史博物館のキュレーターが昭和天皇の『相模湾産後鰓類図譜』という本を見つけて、日本の王室はこんなことをしているのかと驚いていたという。イギリスにはロイヤル・ソサイエティという王族や貴族も名を連ねる民間の科学団体があって、正式名称は「自然についての知識を改善するためのロンドン王立協会」。実験科学ではなく、生物学などのより博物学的な科学をやっている。自然と触れることは、そういう人たちが気を抜くのにいちばんいい方法だから。昭和天皇はイギリスに留学していたので、その雰囲気を知っていたのだと思われる。養老孟司教授が解剖学を選んだ理由の一つとして、戦後に教科書を墨塗りした体験を挙げて「死体は裏切らないから」と述べていた。死体は死体のまま、解釈ひとつで態度が変わったりしない。天皇が生物学を勉強したのにも、それと共通するところが大いにある。正気を保つために蟲を見ていた。神様にまでされてしまって、もしも、いい加減にしてくれという気持ちがあったとしたら、ヒドロ虫でも見ているのがいちばんだから。昭和天皇はよく正気でいられたと思うでしょう。そんなに普通の判断が狂っていたわけではないと思う。退位するべきだったという人もいるけど、淡々と昭和を生ききったことは評価されることだ。そして、生物学はずいぶんその助けになったのではないだろうか。今後も生物学の研究は、なるべく続けていった方が幸福を感じる。

 

 

日本がガラッと変わる節目には災害がある。大正時代は消費社会の始まりで、非常に明るい雰囲気だったのが、突然軍部一辺倒になって戦争の時代へと突き進む。これは日本近代史の不思議の一つとも言われているが、その境目には関東大震災がある。安政の大地震も嘉永から年号を変えるくらいの大変な被害が出た地震だが、その四年後には安政の大獄があり、倒幕運動に続いていく。

 

 

安政地震は、東海地震と南海地震がいっぺんに来て大変な地震だったと言われる。あの地震がなかったら幕末から明治への移行も少し違った形だったかもしれないし、時期ももう少し遅かったかもしれない。そう考えると自然の人為に対する影響は大きい。軍部の暴走や二・二六事件なんかも、関東大震災がなかったら違う状況になっていた可能性があったかもしれない。関東大震災は首都を壊滅させたわけだから、違っていたのだろう。日本の近代史を支配しているのは天災とも言える。それこそ歴史の記述の課題だね。歴史は人為の世界のことだけで記述されるけど、本当は養老孟司教授の言うような自然現象がトリガーになっているかもしれない。そのような自然現象という環境要因の下で人の歴史を考えるというあり方は例えばジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』に通じる視座かもしれない。関東大震災の直前には第一次大戦があってヨーロッパが疲弊していた。一方で日本は軍需特需で儲かっていてお金があった。藤田嗣治とか、あの時代にたくさんの文化人がフランスに留学していたのもそういう理由。それが関東大震災で全てポシャってしまった。雰囲気は相当変わったと思われる。このように変化が常でこれからも万物は流転する。

 

 

阪神大震災や東日本大震災など大変な被害をもたらした地震はあったが、やはり首都機能が維持されるかどうかが大きい。典型は『方丈記』に書かれている京都の大地震。これは文治地震でマグニチュード7以上と言われている。しかも本震並みに大きな余震が、あの地震のない京都で続いたことで、都はめちゃくちゃになる。平安時代がなぜ急に戦乱の世に変わるのかといえば、地震のせいだろう。こうして鎌倉幕府が成立し武家政権の確立に影響を及ぼす。この国が大きく変わる節目は、いつも地震なのだろう。

 

 

かつて平塚も藤沢も燃えてしまった。天変地異が起きないと日本人は目覚めない。09年の民主党政権がたちまち自民党政権に戻ってしまった。11年に東日本大震災が起きていなかったら変わっていた。こうして歪みが表出する。そのズレを今は修正できない。

 

 

茂木健一郎は養老孟司教授を「平成令和の西郷隆盛」と呼んだ。維新の立役者なら坂本龍馬でヤンキーと呼んでいる。成田悠輔や西村博之のような人。それってあなたの感想ですよね?と言って自身の学識にかかわらずマウンティングしている。世間は変わるのだ。憲法9条などタテマエに過ぎない。言葉の額面通りなら確かに違憲だろう。猛暑の中で子供達と昆虫採集をしたように環境によって変わる。そんな子供たちにとって東日本大震災は遠い未来になるかも。高齢者にとっては気分の良さが大切なのだろう。

 

 

政治は自分で考えて行動する。世の中は正しいとか間違っているとかではない。さて、どうやって日本の歪みを修正していくか。

 

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