以前に大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)を見るキッカケとなった文春新書『北条氏の時代』(2021)を手に取ったことをよく覚えている。それまで大河ドラマなんてジイサンが見るものとしか思っていない。なぜこうなったのか、実は自分でも分からない。
平治の乱の後、源頼朝は捕縛される。源氏の後継者だから処刑されるべきところを平清盛に対して継母の池禅尼が、どうか助けてやってほしい、と頼み込んでくれたので命拾いした。これが従来の説。ところが、強力に助命嘆願したのは、上西門院ではないのか、という新説が出てきて、よく引用されている。女院は後白河上皇の同母のお姉さんで、頼朝は平治の乱以前、彼女に蔵人として仕えていた。実は源頼朝は弟である源義経を滅ぼしたので冷酷だと思われがち。しかし、比企尼にも藤九郎盛長にも平賀義信にも恩を感じている面があった。だからこそ池禅尼の実子である平頼盛は、平家の主要人物であるにもかかわらず、討伐の対象とはせずに鎌倉に招いて盛大にもてなしている。ただし女院に対して寺社仏閣なり豪華なプレゼントをしたことは吾妻鏡にないのだ。
さらに鎌倉幕府三代目将軍、源実朝は右大臣の拝賀式を鶴岡八幡宮で執り行った直後に甥の公暁によって討たれる。これは昔から北条義時の陰謀説が唱えられていたが、最近は公暁の単独犯人説が力を得ている。つまり、北条政子や北条義時以下、源実朝将軍の時代が続くものと想定していたのにアクシデントとして彼が暗殺される事件が起きてしまった。しかし吾妻鏡には源実朝が自身の不幸を予言する記述がたくさんあり、大河ドラマのように宋へ渡ろうとするなど突飛な行動に出た挙句、船は座礁。むしろ北条義時をはじめとして源氏将軍はもういらないと考えた御家人も少なくなかったのでは。そして肝心の源実朝の首はどこへ行った?
武士の鏡である畠山重忠と上洛中に討たれる梶原景時。彼らは当初、悪役として描かれていない。室町時代に源義経を主人公とする「義経記」が大当たり。そこには梶原景時が源義経を陥れようとする嫌な奴として描かれている。例えば「曽我物語」では幼い曽我兄弟の排除を源頼朝が言いだし、その時に梶原景時や千葉常胤や和田義盛とともに兄弟の助命を願い出ている。とはいえ、なぜ畠山重忠と梶原景時が粛清されなければいけないのか。それは北条義時にとって邪魔だったとしか思えない。北条氏は生き残るための殺生をする。鎌倉武士であれば、どんな方法でもやってのける。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)を見ればそう。
吾妻鏡によると比企掃部允と比企尼が夫婦。比企尼は源頼朝の乳母の一人。乳母の筆頭は山内首藤家の女性であるため比企尼の席次は二番手以下となる。源頼朝に愛情を注いでいたため鎌倉の中でも生き残ることになる。しかし、ご存知の通り比企氏一族は北条氏によって滅亡の道を辿っているため史料がほとんどない。こういう資料もしくは史料がない場合、北条氏にとって都合の良い解釈をすることになる。源氏が北条氏にとって邪魔だったとするなら比企氏も同じことだろう。とにかく北条氏が生き残るため。
上からそれぞれ、三浦義明、三浦義澄、和田義盛。三浦義明の長男が杉本義宗で、その子供が和田義盛。現在の横浜市にある和田町という場所から取ったと言われている。とはいえ父親が杉本義宗なので現在も鎌倉に存在する杉本寺周辺に居を構えていた。そのことから源頼朝の信頼は厚く、何かあればすぐに飛んで行ける場所となっていた。一方でいとこ同士にあたる三浦義村は史料がほとんどないばかりか、三浦市あたりから出てきたであろうことを推測できるだけで、北条義時と同様に絵巻も残されていない謎に包まれた人物。このことから北条義時と同様に悪魔に魂を売ったことが推測できる。和田義盛の方が実は大所帯で、大河ドラマさえ裏切らぬ暴れん坊であることは確かで、むしろ、だからこそ北条氏が生き残っていくのには邪魔だった。戦いと生死の鎌倉。
すべてはNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)から。久しぶりの鎌倉散策も大いに楽しませてもらった。もっと楽しみたい。
【ニューソース】

















