本郷和人教授は東京都葛飾区亀有に生まれた。下町で有名で、私ぐらいの世代だと『こちら葛飾区亀有公園前派出所』で知っている人は少なくないと思う。有名企業に勤める父と、専門学校で有機化学を教える母と、祖母がいたとか。当初は人の役に立つ仕事だと思って、医師を目指すも小動物の死体の解剖すら出来ず断念。この頃はまだカエルの解剖とか、授業があったんだね。次に僧侶を目指すも、家に来た僧侶が「寺院の株を5000万円で購入した」と自慢して幻滅。こうして夢は徐々に絞られていくのだ。やっぱり夢は、夢だけで終わることが少なくない。やりたいことだけをやっても、すべてが自分の好きなように出来る訳ではない。
歌人の在原業平、僧侶の一遍上人、作家の永井荷風、などといった世間にとって何の役にも立たない人間が自由でいちばん良いと思った。お金にならないけど、好きなことが出来る。好きなことは、実は世間にとって役に立たないから、それがラクでいいな。
実際には、祖母が「カズちゃんに近寄らないで!」などと近所の子供を追い払うぐらい変わった人だったという。おかげで友達が一人もいなかった。もちろん、友達がいなければならない、というわけではない。つまらない人生を歩むだけだが、悪い友達が出来るよりはマシかもしれない。ただやはり、物事と言うのは、これが正解というものはいっさい存在しない。歴史学者は辛いな。
最初は受験勉強に身が入らないものの、東京大学文科三類に志望を絞ると、そこからガリガリやってナントカ合格。苦手な数学は仕方ないから、解法を丸暗記したという。他人に笑われようと、バカと天才は紙一重な人にとっての方法論なのであったのだよ。
東大入学直後にカルチャーショックを受けて引きこもり状態になる。特に4月は辛かったという。今現在、有名になったという人でさえ順風満帆とはいかず。それで何したかと言うと『水戸黄門』の再放送を見ていたらしいが、そこを読んでウチの母方のジーチャンかと思ったワイ。だいたい人によっての好き嫌いなんて正常な範囲であり、本当に極端なら専門家になって不思議ではないはず。そもそも好き嫌いという感覚の世界においては養老孟司教授のところで散々、述べた通り、前提からして違うから比較が出来ないのだが、どっちが上とか下とか、勘違いしている人も少なくない。そうではなくて、若かろうが老人だろうが、知るかよ。
そこで助けてくれたのが同級生の小泉恵子。つまり本郷和人教授の妻である本郷恵子氏。東京大学歴史編纂研究所の所長であり、本郷和人教授の上司であり、なくてはならない歴史学者仲間でもある。出会いはやっぱり大切だね。どこに転がっているか分からないから、外に出るのが正常なんだけど、つい最近まで私も見てきたのは、中高年も口だけ野郎で、他人に評価を求めるという、いけ好かない連中ばかりが世の中にゴロゴロ転がっている。三大バカというのは、大声を張り上げて怒鳴り散らす威張った奴、自分が正しいと思ったら絶対に曲げないという奴、そして承認欲求が強いインターネット妄想野郎なのだ。モノは上手く使うべし。
こうして人格は作られていく。若い研究者に対して、書いてあることがすべてではない、と説いても『吾妻鏡』に書いてあるなどと主張しまくる研究者がいる。別に若い人だけではないんだけど、書いてあることがすべてではないのは当然であり、それでも調べた上での主張だから、一つの考えに過ぎないのは当たり前のことであり、その当たり前が現代では当たり前でないから、やっぱりお互いに話が通じなくなる。でもだから通じ合うべきとは私も言っていない。どうしても通じないなら、それはそれでいい。正解志向はわりと若い人に多く、戦後、特にシラケ世代と呼ばれた人たちから、極端な正解志向にあることは間違いない。自己主張が多い人は、何かと証拠を突きつけようとする。証拠とは完全犯罪を見破るためにあるもので、ブラック企業でも証拠隠しとか、色々とあるけれど、政治、経済、法律、という西洋から持ち込まれた理論だけで成り立っているわけではない。世の中は複雑だ。
だいたい鎌倉幕府と言えば源氏だと思っている人が少なくない。これをNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』と同じように北条氏を中心として見たら、どうだろうか。結局は鎌倉に行けば、実際には北条氏の名残ばかりで、源頼朝の墓と源実朝の墓しかないね。
中世の中でも、特に鎌倉幕府と室町幕府においては歪曲や曲解が次々と明るみになっている。戦いの中での書物だから、実際に起こったことより遥かに記述が少ないのは、すでに知られている。そういうところを色んな発想で繋げていくのだが、証拠はあるのかといちいちウルサイ研究者がいるらしい。とはいえ、古文書でさえ誰かが実際に見てそのまま書いたわけではないし、見る人の見方によっても違うのは明らか。本当は北条氏こそ極悪人という現代人の見方は、戦乱の当時は当たり前だったから正常なのだ。
戦乱とか言って、乱もクソもない。武士の世の中は戦うのが常識だったのだ。それだけ身体所作が中心の時代だった。むしろ今現在の人の方が大人しい。特に若い人が大人しくて、子供の時から体を動かす訓練をしていないから、不安だというのは分かるね。
そしてホラ吹きの仕方も上手でなければいけない。やっぱり夏目漱石『坊ちゃん』のように学校でウソのつき方を教えた方が良かったかもね。これは私の体験になってしまうけど、シアトルに行って調子に乗った挙句の果てに、母方の親戚からプレゼントされたTAKEO KIKUCHIを着て行ったら、ワーッ!素敵だね!って、チビで手足短い私が素敵なわけないだろ。アメリカ人は噓つきだったな。ではイタリア人はどうか。女を見るなり、君カワイイねーっ!って心底から思うかよ。だから記述にないところも繋げて考えるしかない。いきなり日本史に飛んだけど、でも、そういうこと。悪い風に考えたっていい。だってそれが研究だもんね。
以前に鎌倉を見て、歴史が止まっている、という人がいたけど実際に歴史というのは時を追うごとに変化していて、あれは正解ではなく、恐らくこうだったのでは?と江戸時代の人たちが考えて復興させた町。つまり鎌倉は歴史という名の時の記憶と空想で創られた街なのだ。だから小町通りなんておかしな商店街が出来上がる。アレのせいで京都や奈良みたく世界遺産登録できないのだよ。だから歴史は分かり切った文系科目って、おかしいよね。本当は科学なのに。織田信長だって本当は戦国武将で有名な人というのは現代人の考えで、当時の家臣たちからすれば、いわゆる大魔王バラモスだったから、明智光秀から反感を買ったというよりはむしろプーチンや金正恩のような、いけ好かない人物だったかもしれない。こうして本郷和人教授は日本史王になったのだな。
【ニューソース】














































