養老孟司教授と養老朝枝と池田清彦による対談 | 北条得宗家の鎌倉めぐり

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6月4日は語呂合わせから虫の日だ。2022年6月4日の、その虫の日に行ってみたら、養老孟司教授はなんと杖をついていた。やはり、人は変わるものだ。変わらないと思っているのは脳。思い込みと言ってもいい。養老孟司教授が隈研吾の造った虫かごみたいな墓というか塚のそば、つまり先頭に座る。向かって左隣に妻の養老朝枝氏が、さらに左隣にイラストレーターの南伸坊が座っていた。養老孟司教授は、何かと知り合いが多い。仲良しこよしでなくとも、大人というのは取り敢えず、一致させておこうかってところは、一致させておく。ピッタリ合わなくていい。これがまだ仕事に精を出している頃は、ほとんどの人は分かっていない。

 

 

養老孟司教授は保守で、池田清彦や南伸坊といったあたりは、どう見ても左翼の革新系だ。ピッタリ合うわけないんだけど、話は何となく通じているところがある。それは相手を無理矢理、強制しないからだ。矯正もしない。これで強制や矯正という意味になると、お世辞やゴマすりを強要していることにもなる。戦後世代は何を勘違いして来たのか、例えば私と私の両親の世代は違うと思っている人もいる。しかし、実際にはほとんど変わっていない。全員が賢いなら良いのだが、ラクしたいから他人に寄越して強要する。これはどの世代も同じ。かつて小泉純一郎は息子の小泉孝太郎に、デパートにおいて、エレベーターとエスカレーターと階段のどれを選ぶかといったら、階段を選べという。みんなが嫌がることをすることこそ褒められる第一歩だから、というのだ。

 

 

嫁はんや姉などといった我が家の最強軍団と共に行くと、必ず化粧品コーナーに立ち寄らざるを得ない。そこまでパンダみたいに塗りたくらなくても、と言ったら「分かってるんだけどさ!すっぴんよりマシでしょ!」と逆襲に遭うのだ。顔が白神山地では元も子もないから、やはり人工物と見なす。女が服を買いまくるのも人工物という見なしをかけている。綾小路きみまろ師匠なら恐らく「奥様も選ばれたんです!その顔で…」と言うに違いない。勘違いしている人が少なくないな~と思ったのは、自然というのは、ほったらかし状態を言う。同じ木でも森と林は違う。昆虫ならすべて一緒くた。違うでしょうに。例えばカブトムシやクワガタやセミなら、誰でも採集した経験はあるハズ。だけどゴキブリやクモを好きという人は、あまりいない。同じ昆虫という単語であっても、すべてが異なっている。また同じカブトムシやクワガタやセミでも、個体により異なる。東京都や神奈川県でクマゼミが鳴く、という温暖化に加えてヒートアイランド現象も深刻に。面白いから鳴き声を収録して福岡市に住む同級生の従姉に送ってやったら感動していた。東京の公園でなぜか「ジーッ♪」と「ミーンミンミン♪」と「シャッシャッ♪」の大合唱となっていた。

 

 

違い分かるだろうか。上からそれぞれ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、クマゼミ、ヒグラシ。これでツクツクボウシも入ったら、たまったものではない。ちょっとしたセミ界の大オーケストラ団になってしまう。だから鳴く時期は本来、少しずれているのだが、梅雨明けだか夏本番だか夏終盤だか初秋の秋雨前線だか、セミたちも分からなくなってしまった。自然は良いものだけではなく、それだけ脅威だということもあるから、昔の人はちゃんと世間に恩返しをしていた。神仏に縋ることもあったに違いないだろう。

 

 

そんな昆虫好きの二人の対談は、実は昆虫ではなく、感染症とウクライナ戦争から始まる。前者の感染症は、実は感染症がいけないのではなく、人間に最も責任があるということだ。未だ理解できていない人があまりに多すぎる。狩猟生活の時代はせいぜい50人~100人ぐらいのバンドを形成していた。ムラ社会ということだ。私も北海道まで行ってアイヌ文化を見聞きしたんだけど、隣のバンドとの交流なんてほとんどしないから、感染症なんてその場で終わっていた。パンデミックとは実は便利の裏返しなのだ。

 

 

ウクライナ戦争がなぜ起きたか。それは自己同一性にある。プーチンによる「ロシアの国体」が戦争なのだ。かつて日本でも国体はあったし、今現在でもスポーツ大会に名前が変わったものの、天皇が高い位置から挨拶して、選手たちが入場行進してグラウンドを闊歩するところは北朝鮮労働党となんら変わりない。むしろ北朝鮮労働党が日本を真似した。このように自分では正常だと思い込んでいる。自分が最も正しいと思い込んでいないだろうか。要するに、若いからこうだと決めつけるのも、言い方によってはラクなのかもしれないけど、あまり考えない人たちになってしまった。戦後はシラケ世代から、かなりおかしくなってしまった。

 

 

思い込みがますます激しくなれば、もはや人間がAI化するだけだ。以前は風邪ひいたと大騒ぎした奴もいた。休めばいいのにね。

 

 

SDGsが大嘘なのは言い過ぎだけど、あくまで目標のみで終わっているのは間違いない。だいたいペットボトルってリサイクルしているのはごくわずか。あとは燃やしているから、二酸化炭素を出し放題。私的にはダメだとしても環境問題に取り組むべき立場なのだが、年を追うごとに線状降水帯の発生や大雨特別警報の発表が増えているのは、やはり、ちょっとやそっとでは限界があるのだろう。人類は環境を徹底的に破壊したのち死ぬ運命なのかもね。死にたいと思うのはハッピーじゃないからなんだけど、それだったら余計に環境保全に取り組むべきだね。若い人ほど幸せではない。コレ実は初老うつも当てはまったりしているから、いつまでも若くいたいということは、未来の不安を助長させることにもなりかねないのだ。だからオッサンでも自意識過剰なのだよ。

 

 

台湾の話題はオイラ得意だぞ。それに、中国を台湾化してしまえ!って、そりゃあ傑作だな。だって台湾は二重国籍もアリだし。

 

 

蔣介石の墓で昆虫採集なんて、なかなかやりますな。中国の強みであるいい加減さを取り入れているのか、はたまたそういう感覚なのか。女でもホテルからスウェットで出てくるぐらいだしね。日本人みたく、いちいち化粧してキッチリした格好ではなく、ちょっと出るぐらいなら、ありのまま。それが良いか悪いかは結果論。日本なら天皇とは神聖なものであるから、象徴とは言えど、若い人だから天皇に対して無関心なのではなく、池田清彦や南伸坊のような団塊世代こそ天皇に批判的なのは、日本の戦後としては当然のことなんだけど、いい歳こいてるにもかかわらず知らないとかいう人の存在に仰天した。だって天皇は伝家の宝刀なんだもんね。何かと言えば、天皇が「右向け右!」と言えば、日本国民は右を向かざるを得ないでしょ。でも、それが日本なんだし。

 

 

最後にゾウムシについて語りたい。とはいえ私はゾウムシに詳しくなく、せいぜいヘラクレスオオカブトがすげー価値あるんだよな、ぐらいしか昆虫の知識はない素人だ。しかし、ウクライナからもゾウムシを買ったりして、貢献しているということは養老孟司教授も池田清彦も、心身ともに余力がないと出来ないことだ。しかも良いことだ。人間は脳にないモノを排除することは、以前から語られていた。キショイから見るのをやめよう、ではなく、そういうものも見ておくことが脳の健康問題にもつながるのだ。

 

 

そうでなければ障害者支援施設なんて、いくら置かれたとしても排除するという思想は変わらない。別に排除したいと思っても、行動に出なければ良くて、それでも宅間守型のような突撃型大量殺人事件が起きるのは、必然のままなのだ。我が家も福島県産の桃を買っているし、北海道から「ななつぼし」が送られてくる。北海道で米を採れるようになったのは温暖化したからだと頓珍漢なことを述べた大臣がいたけど、実際には「新潟コシヒカリ」も「あきたこまち」も、江戸以降より品種改良したからなのであって、そもそも米自体がジャポニカという植物から品種改良している。ジャポニカ学習帳のアレだが、当然、植物はそのまま食べられない。トマトなども同じ。こういうことを現代人は、農家以外はたぶん知らないと思う。多様性とは、実は、もともとあるもので、発揮するものではない。したがって、中高年も含めて現代人のやってることが滅茶苦茶なのは目に見えていると思う。スーパーやコンビニで並んでいるものはどこで採れるんだ。あなたの体重はどこから来ているんだ。人間はつくづく愚かな生き物だな。

 

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