ここからは、私が平成時代に夢中になったアーティストを選びたいと思います。ぶっちゃけていうと、私が昭和から平成に改元された年は幼稚園バスで迎えに来て、幼稚園の先生が「おはようございま~す!」と明るく挨拶するような雰囲気だったので、知る由もありません。
そんな時代だからこそ、私が産声を上げる2年前にデビューしたIRON MAIDENでHR/HMの中心がハードロックからへヴィメタルに移行することが高らかに宣言され、そうなるとJUDAS PRIESTや私の産声と同時期にデビューしたPANTERAなんてのは思いっきり昭和時代の古臭い音楽からスタートしているため論外。私が欲しいのは誰が何と言おうと「なんとかメタル」なのです。
【AVENGED SEVENFOLD】
【TRIVIUM】
【CHILDREN OF BODOM】
【DARKANE】
【KILLSWITCH ENGAGE】
【BULLET FOR MY VALENTINE】
【ALL THAT REMAINS】
【EVANESCENCE】
【LINKIN PARK】
【STONE SOUR】
まあ、こんなもんですかね。日本人が好きなメロディック・パワー・メタルというのは2段階に渡ってブームが来たから日本盤が多かったのは当たり前だし、そもそもSONATA ARCTICAでさえ日本デビューが2000年であったため、これらは敢えて外しました。
しかしそれでも、私が「なんとかロック」に行くことはなく、このようにBURRN!に相応しい「なんとかメタル」なのです。これにて私は『自分の壁』を破ったと言えるでしょう。私は脳科学が好きだから、養老孟司の本は常々読んでいた。つまり、これが私の個性なのです。誰が何と言おうと、たとえ潰しにかかとうとしても最後に残る。それが個性です。これをこだわりとは言わない。
こだわりというのは苦手分野が少なくない代わりにたった一つだけの物事に対して突き詰めて研究・観察すること。例えば1000回に1回の成功を目指して実験しまくるような人。私にとってこだわりの強い人はアインシュタインやモーツァルトや芥川龍之介などが挙げられるから、私はこの類ではない。そこまで天才ではないし。言葉の意味が分からなければ、広辞苑は一冊持っておいた方がいいかもしれません。
そもそも養老孟司・東大元教授や中野信子先生や磯田道史先生などはこだわりが強く、やはりこだわりの強さは学業というか成績に反映されることもあるのだろう。そうなると、こだわりがないということはむしろ「頑張らない」「努力が嫌い」「社会に溶け込めない」ということを高らかに宣言しているようなもので、私はこだわりという言葉があまり好きではない。使いたくもない。
実際、頑張らないと成功は望めないし、絶対成功とはいかなくても、やってみないと分からないわけです。最初から分かってるなら体を使う必要はないのですから。むしろ自分が動作するのではなく、相手に動作を気づかせ、無理強いして自分が偉くなった気になる。それは麻原彰晃や大川隆法だけでいい。それも『バカの壁』『死の壁』『超バカの壁』『自分の壁』に詳しく書いてあります。養老孟司の教え子がいかにしてオウム真理教に引っかかったのかは「んっ !? ちょっと待てよ?」ということがないから。
私は基本的に捻くれていて、他人をあまり信用しない方だから、よほどでないと信じない。しかも、こうやってネット上だけで信用だとか不信用だとか、どちらの意見が上とか下とか、正解とか不正解とか、その方が些細でどうでもいいことなので、そういう人とは関わりたくないだけですね。そういった暴走を止めるのが仏教だったりキリスト教の役割だったのが、仏教国であった日本が西洋近代的自我が入ってきて「自分が!自分が!」という個人主義になってから、肝心の宗教はなくなってしまい、変な新興宗教が乱立し始めたのは歴史的に知るところでしょう。
音楽も同じでPANTERAのような特殊な偽メタルを信奉する人ほどカルト的な信仰心が深く、オウム真理教や幸福の科学のように世界が狭く、そこしか見ていないからいつまでも「世界の中ではPANTERAこそ至上主義だ!」と言い張っているのです。私はそういったカルト的な信仰心がなく、むしろオタク/マニア気質としては一般的なので世界地図を頭の中で広げて大きい範囲で見ており、アメリカもあればイギリスもあればヨーロッパもあれば、日本のHR/HMだって消して悪くない。ブラジルだってANGRAだけではなくSEPULTURAも有名。
好きこそものの上手なれ、とは昔から言われたもので、最初は私が聴くような音楽だとは思っていなかったのですが、実はヤンキー臭があるのはハードロックであり、クラシックからパンクから、他の色んな音楽ジャンルから取ってきて付けた独自のサウンドがむしろへヴィメタルだったこと。ここに高校生の私と今の私が変化していることを表しているわけですね。ほとんど知らない人ほど未だにハードロックとへヴィメタルは同じだと思っている人もいるわけだし、最悪、演奏が同じだと思っている人もいるわけです。基本がロックで、それを極めてへヴィメタルだと。
そもそも「4・8・16」のリズムを最初から全力で否定する人に関しては「君は義務教育を出てきたのかい?」と言ってやりたい次元ですが、演奏法に関して基本がロックで応用がへヴィメタルというのも、学校の教科書で習った音楽からすれば、明らかにおかしな言い分です。というか、かなり乱暴です。なんでもかんでもすべてが一体だと思ったら大間違いなわけで、ある意味、天皇は国民の象徴であるため我々と一体である、などとと思っている人ほど平成時代を名残惜しいと思うのかもしれませんが、それと同じぐらい乱暴な話です。そんなわけはなく、世の中にいろんな人がいるように、音楽もいろんなジャンルやサブ・ジャンルが独立していて、演奏法も実に様々です。リズムこそ「4・8・16」が基本ですが、例えばファンクのようにモロ黒人音楽丸出しで、かつ特殊で独特の演奏法も中にはあるわけです。
天皇は国家の一機関という意味の家族として独立して置かれている、と私は思っていて、だからこそ「令和時代到来」と来たら「あっそう…」という感じでした。それは私が平成時代到来を知らないからだ、という人もいるかもしれませんが、これは脳の中の発想でしかないんです。頭の中での妄想に過ぎないから「一億玉砕」に走ったわけで、そういう意味で私の令和時代は玉砕することなく、こういったAVENGED SEVENFOLDやTRIVIUMなどといった、もうすでに中堅になりつつあるアーティストを見守っていきたいですね。
高校までは出された課題や教科書に書かれていることをこなすこと。これをある程度こなすことが出来て、初めて大学の機関では自分で何が課題なのかを発見し、追及すること。むろん、こなせるかどうかは入学試験で決めるから一発勝負で公平なわけで、こういったことは音楽でも活きたと思います。やはり自分で発見しなければ理解が深まらないし、知っているかどうかなんて誰でも出来るからどうでもいいことで、むしろ深みに達した時にその良さが自分で理解できないと面白くありません。ここは大学の勉強の面白さに似ているのかもしれませんね。音楽も常に疑問と追及と発見です。なんだか最後はアインシュタインの相対性理論みたいな決め台詞になってしまいました(苦笑)。













