本日は徒然系記事です。お時間ある方はおつきあいくださいませ。
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突然ですけど1型を(に限らずかもしれないけど)
「受容」、「受け入れる」って結果論だなって思います。
自分が「受け入れた」と思うのと
周囲から「受け入れてるようにみえる」も大きく違うなって思います。
そもそも、
「受け入れなければならない」「受け入れるべき」ってものでもないと思うんです。
「受け入れられていない(気がする)」
「受け入れたくないな」
「インスリン嫌」
と、とりあえず自分の気持ちを認める。
それでいいと思うんです。
1型に関していえば、
「受け入れていること」
と
「インスリンをきちんと打つこと(対症療法をきちんと行うこと)」
は別問題ですから。
受け入れていなくてもインスリンを打てていればとりあえず命は守れる。
(マズローの欲求の5段階ピラミッド:生理的欲求のさらに下な感じ)
何を食べるか+食べるために打つという生理的欲求の部分。
合併症が不安だとか高血糖で多尿が嫌、低血糖が嫌、避けたいなどというコントロールに目がいく安全欲求の部分。
社会的欲求、承認欲求の段階で、社会生活上1型をカミングアウトするかどうか悩んだり、患者会(or SNS)で他の人のやり方を見たり、関わったりしてそれが
にフィードバッグされたり、他の趣味や生活があってそちらに適応したりするのかな。
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の段階が最初の壁でしょうか。これを乗り越えて
〜
の期間を繰り返していくうちに、
血糖値・血糖コントロール以外のことを考える時間が増えていって
「1型もある」けど「他の生活(趣味)もある」
「他の生活(趣味)をしっかり楽しむ」ために「1型のことも自分の許容範囲内でそれなりにやる」
になっていって
それが他者から見ると
「受け入れているようにみえる」
のかなと思います。
私自身も他者から見たら「受け入れられてる」カテゴリにいると思いますが
自分自身が受け入れてるかどうかはわからないです。
1型になって得たものも多いけれど、よかった!とは断定できない気持ちなので、
「受け入れてます」とは言いたくないというのが正しいのかもしれない。
ま、コントロールなど「自分の許容範囲内でそれなりに」やっているのは間違いないですねえ![]()
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マズローさんの使い方が合ってるかもわからないですけど。
まとまらないので、おしまい![]()
自己実現理論(Wikipedia)