昨日の投稿からの続きで

昨夜のHTLの配信では昔話で盛り上がった。





私は『合わせる』ことにとても長けていたと思う。

それは小学校の時のイジメの体験と
15歳で家を飛び出した経験が強く影響してる気がしてて

小学校の時は『私は、このグループにいさせてもらってる存在』だから。

だったし

家を出て、周りの大人たちに助けてもらわなきゃいけなくなった時は

『私は、可愛がってもらえるような従順な存在』でいないといけないという気持ちが強かった。



いつも自分のいる空間は間借りをさせてもらってる感覚で

自分の気持ちはどうでもいいからいかに環境に合う自分になれるかどうか、が勝負所。



自分がどうしたい、ではなく


「ここではどうたち振る舞うのが正解なのか?」


そんなこんなで
当たりさわりなく人当たりもいいので大きく嫌われることもなかった

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自分が何色が好きかどうかなんてどうでもよくて
みんなが赤が好きっていってるなら、その色が私も好きな色だ。
そう思い込む。

全部が全部、そんな感じだった。

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だからこの生き方は私にとっては慣れるまで地獄的にキツかったのだ。

周りの正解に合わせることに躍起になっていた人間が
自分で選び決め、その選んだものを自分の正解にしていかなければいけない

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こんなエピソードたちがある。

2016年アメリカ行きの飛行機で
私は窓際の席に座った。
隣の人が寝ていて、トイレに行きたかったのに『すみません』の一言が言えなかった。
8−9時間、トイレを我慢して死ぬほどストレス。

とか

大好きで尊敬する人が青汁を勧めてくれて
『苦手で飲めません』この一言が言えなかった。

とか

もう今は亡き私の祖母。
バニラアイスのことを『クリーム』と言って私によく買ってくれた。

ほんとうは違うアイスが食べたかったし、それ自体があまり好きでなかった。
でも美味しそうに食べるから
祖母は毎度 さっちゃんはクリームが好きだもんね。と言って与えてくれた

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空間にヒビが入らないように
我慢して合わせる

相手の好きに合わせ
オーバーリアクションで喜ばせる
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こんなことをやってるとどうなると思う?

自分のその一言を伝える勇気がなかっただけで
大好きなその人に会うのも嫌になってくるのだ。

また、青汁飲まなきゃいけない
また、アイスで喜ばなきゃいけない。
とかね。




あと、その行動も億劫になるわけさ
アメリカ行きたいけど飛行機のりたくない。
なぜなら窓際の席あたったらトイレ行けなくてストレスだから、みたいな。

こうやってどんどん自分の世界を狭くしていた。

そう、自らの手で。

ひどいときには、自分を被害者に相手を加害者にすることもあった。

それは苦手です
私はこうがいいです
それを言うだけなのに。

その一言をなぜ言えないかって?

それを言ったら波風が立つ、嫌われると思ってるからでしょ?
『好かれていたい、いい人に見られていたい』
そのメリットを感じて自分の気持ちを押し殺したはずなのに

その怒りの矛先を相手に向けるのだ。

例えばだよ、

飛行機の隣の人ずっと寝てて最悪だった、とか
青汁体に良いって無理やり勧めてくる、とか
好きじゃないアイス毎回与えてくる、とか

ほらこの言い方だとさ、さも相手が悪者かの様になるじゃない。

いつだって自分は被害をこうむってる可哀想な人。

それを私はやめただけ。

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ひとっ飛びに、手っ取り早く
環境が変わったり大金を手にしたり
奇跡が起きたり、派手なアクションしたり。




そんなことになれば自分は幸せになれるのに、と勘違いしてる人間が多い。

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『すみません、トイレに行きたいです』
『青汁苦手です』

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自分の世界を変える偉大な一歩は
こういう見落としがちな、小さな一歩。
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制限から解き放たれていくこの開放感たるや。

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当たり障りのない
特に嫌われることもない人間でしたが

今は大きく嫌われ、でっかく愛されています。

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『嫌われ者の人気者』

この6年で私が手にした勲章です。