亡き祖母の3回忌の法事が執り行われた。

2007年4月の岩手県知事選挙戦最終日に亡くなった。
「芸人は親の死に目にも遭えない。」を
心に刻んで生きてきたが
本当にその瞬間が訪れた時はショックだった。
小学生の頃、祖母は私に言った。
「中学校に進学する姿を見たら、安心して死ねるよ。
せめて、高校進学までは見届けたいなぁ。
結婚式まで見れたら、もう何も言う事はないなぁ」と。
子供心に私は物陰に隠れて泣いた。
肉親が死ぬなんて想像もしたくないからだ。
それから猛勉強を始めた。
プロレスラーになる決心をしてからは
猛トレーニングも加わった。
祖母が生きている間に一人前になって
喜ばせてあげたい、そんな一心だった。
高校進学も、プロレスデビューも、会社創業も、
結婚式も、曾孫の誕生も、議員当選も
目の前で喜んでもらう事が出来た。
祖母の父が旧渋民村の村長を務め、
同時に石川啄木のスポンサーもしていた事から、
祖母が実体験した先人達の驚愕のエピソードを
議員だった私に病床から語り聞かせてくれたのが
私と祖母の最後の会話だった。
親孝行したい時に親は無し、
とならないよう、精進しなければと
気持ちを新たにしたのだった。



2007年4月の岩手県知事選挙戦最終日に亡くなった。
「芸人は親の死に目にも遭えない。」を
心に刻んで生きてきたが
本当にその瞬間が訪れた時はショックだった。
小学生の頃、祖母は私に言った。
「中学校に進学する姿を見たら、安心して死ねるよ。
せめて、高校進学までは見届けたいなぁ。
結婚式まで見れたら、もう何も言う事はないなぁ」と。
子供心に私は物陰に隠れて泣いた。
肉親が死ぬなんて想像もしたくないからだ。
それから猛勉強を始めた。
プロレスラーになる決心をしてからは
猛トレーニングも加わった。
祖母が生きている間に一人前になって
喜ばせてあげたい、そんな一心だった。
高校進学も、プロレスデビューも、会社創業も、
結婚式も、曾孫の誕生も、議員当選も
目の前で喜んでもらう事が出来た。
祖母の父が旧渋民村の村長を務め、
同時に石川啄木のスポンサーもしていた事から、
祖母が実体験した先人達の驚愕のエピソードを
議員だった私に病床から語り聞かせてくれたのが
私と祖母の最後の会話だった。
親孝行したい時に親は無し、
とならないよう、精進しなければと
気持ちを新たにしたのだった。